ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

あるがまま

悲観的シニフィエを看破し続け闊歩する

5億光年の宇宙地図〈ラニアケア超銀河団〉(NHKより) 新年あけましておめでとうございます。 まず、このタイトルを元日の記事に持ってきたのは、忘れてはならない貴重なコンセプトであると、昨年10月ごろから幾度となく思い返したからです。 私たちは得てし…

円窓で実相に触れる

昨日、高速道路のサービスエリアで偶然に遭遇した円窓。 なぜこれほど綺麗のか。 思わず足を止めて、見入った。 新緑の緑が一面に燃えるようだが、奥行きが感じられ立体感がある。 みずみずしく静かな生命の躍動がある。 しかし同じ景色も円窓を通して観ると…

「不即不離」という対人関係のフローを実現する

森田療法の勉強を始めました。そして森田正馬先生の『自覚と悟りへの道』を読み進めていく中で、自分にとって大切な人(上司、顧客、恋人、友人etc.)との関係のとり方について、たいへん興味深いと思われる部分がありましたので紹介して考察してみたいと思…

ありのまま、起こるがまま、そして「あるがまま」

「あるがまま」とは、「ありのまま」、および、「起こるがまま」を含んで超えているのだと思いました。 まず、「ありのまま」とは、何でしょうか。 それは、ベールを通さず、無濾過のリアリティを見ることです。 私たちヒトは、「関係づける能力」を発達させ…

貼りつけたレッテルをはがし「ありのまま」をみる

前回に引き続きACTのコアである6つのプロセスについて、過去のブログとの関連を見て(ウィルバー、ACT、ティクナットハン、エックハルト・トール、ミンゲールetc)に共通する横糸を通してみたいと思います。今回はその2つ目、脱フュージョンです。 脱フュー…

いま以上の何ものかになろうとしていないか

しばらく前から書き留めておきたいコンセプトがあって、それをどう表現しようかと思っていたところ、昨晩ヒュー・プレイサーの「わたしの知らないわたしへ」(中川吉晴、訳)の中から、「私は常にいま以上の何ものかになろうとしてきた」という一文を見つけ…

曇りなき眼で見つける青い鳥

前回のブログで「言葉で言い表せないものの価値を見出す」と書いた。そしていろいろと思いを巡らせるうちにやっぱり「青い鳥」ではないのかとの思いが強くなり、メーテルリンクの「青い鳥」(新潮文庫)を購入して読んでみた。 ご存じの通り、クリスマスイブ…

ことばで言い表せないものの価値を見出す

前回のブログで「価値体系の変革」ということを書いた。 ではどのような価値体系へ変革するのが望ましいのであろうか? インテグラル理論的には価値観の梯子(cf.スパイラル・ダイナミクス)を上に登っていくことであると結論づけられそうであるが、 グリー…

脱フュージョンで出来事と評価を切り分ける

ACT(アクセプタンス&コミットメント セラピー)では、 ・アクセプタンス ・脱フュージョン ・文脈(観察者)としての自己 ・今この瞬間との接触 ・価値 ・コミットメント の6つを主要な構成要素としている。(こころのりんしょうa la carte 2009.3 p81) …

「無意識の回避」から「意識的な受容」へ

ACT(アクセプタンス・コミットメント・セラピー)の勉強を進めていて、あらためて思うのは、まず、われわれはネガティブな状況や出来事、そしてそれに反応する内面の現象を、無意識に避けようとする傾向があるということだ。 しかしそうではなく受け容れね…

Let It Beによって全体性に整合する

先日久しぶりにカラオケに行った。行くと必ず歌うのがビートルズの曲であるが、今回はLet It Beを歌った。 これはポールの曲でありキーがやや高いので、2♭下げて歌った。それはともかく…。 エックハルト・トールを読んで、重要なポイントを3つあげるとした…

心の静寂と思考の不在によって特徴づけられる「意識のphenomenon」

“Eckhart Tolle & Sri Aurobindo”からトーレのいうEgoic Selfの7つの特徴の最後であるPerceiving through the Veil of Mindを今回は取り上げます。(以下引用) Perceiving through the Veil of Mind 心のベールを通して知覚する このメンタルノイズについての…

私とは誰か?自己同一性のライン

今回はインテグラル理論の発達ラインの中の自己同一性(セルフ・アイデンティティ)のラインを取り上げたいと思います。 LeovingerとCook-Greuterがその研究者として名前が上がっていたので、探していたらクイーンズ大学の心理学のサイトの中にコンパクトに…

曇りなき、眼で見定める Suchness

「起こるがまま」と「あるがまま」に思いを巡らせていて、ふっと気づいたのですが、あるがままSuchness(真如)とは、「曇りなき眼(まなこ)で見る」ことと共通するものがあるのではないでしょうか。 「曇りなき眼で見定め、決める」とは、宮崎駿映画の「も…

あらゆる手立ては「それ」を遠ざけるだけ

ウィルバーの「存在することのシンプルな感覚」P265~P266から書きとめておきたい印象深い部分を抜き出しました。 あらゆる手立てというものが、実際には「それ」を遠ざけるだけのものであり、「それ」に対する抵抗であると本当に悟った時、抵抗のメカニズム…

不確実性を受け入れる方法 BECOMING TRANSPARENT

起こることは無常であり、本来その不確実さは避けようがありません。 しかし私たちは何とかその不確実さを回避しようと外のモノや起こるコトをコントロールしようとします。 そしてそれができないときに葛藤やショックなどに陥ります。 あるいはこうしたこと…

心を鏡のように用いる

「存在することのシンプルな感覚」の最後の章「常に現前する意識の輝くような明晰性」は本当にすばらしい。どこもいいのですが、今日は目撃者がどのように目撃するのか、を荘子の言葉を引用して書かれた部分があるので取り上げたいと思います。 (以下P364よ…

ケンタウロスとuncontrollable

ウィルバーの「意識のスペクトル」では、ペルソナと、投影された影を統合して健全な自我を回復した後、自我(心)と身体とを統合してケンタウロス(心身統合体)に至ります。これは無境界(非二元、統一意識)に向かう途中のアイデンティティ拡大の1プロセス…

禅 ZEN

映画「禅 ZEN」を見てきました。大谷哲夫「永平の風 道元の生涯」(文芸社刊)が原作です。 内田有紀ふんする「おりん」が、乳飲み子が死にそうだと、道元のもとに駆けつけた時、道元が言った言葉・・・、そしてそのあとの一連のやりとりは前半の山場です。 そ…

世界をありのままに見る〜ゴッホの椅子〜

以下はエックハルト・トールの「ニューアース」第二章エゴという間違った自己のメカニズム からの抜粋です。 世界をありのままに見る 何かに言葉を貼り付けたとたんに、まるで催眠術にかかったように、それが何であるかを知ったと思い込む。しかし私たちが感…