ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

わたし

虚無感すらも無い

前回のブログで「虚無感すら無い」と書いた。これは、 「何も無い」(すなわち虚無)でも「何もないのでも無い」 という絶対否定を表した言葉だ。 「何もない」と聴くと、あるはずのものが全て失くなるような、あるいは私という存在がなくなってしまうような暗…

私たちは勘違いしていた

(2021年1月1日、モーニングショーより撮影) 私たちは勘違いしていた。 「今」とは、過去と未来に挟まれた刹那であると。 であるから 今ここを軽んじ、 こころは先へ先へ、あるいは前へ 彷徨う。 しかし、そうではなかった。 〈今〉とは、過去を含み未来を…

「目撃者の自己」と「複雑系の自己」

ウィルバーのいう「目撃者としての自己」と、ここ何回か記事で取り上げてきた「複雑系としての自己」を対比させて示せないかと考えて以下のような図を描いてみた。 上図は「目撃者としての自己」(目撃者の自己)の広がりを私なりに示したものだ。I(個人の…

徹底的な安心感とマトリックス

平成29年6月10日のブログで吉福伸逸氏のいうマトリックスのことを書いた。それはエネルギー源の提供、徹底的な安心感、排泄物の処理という3大機能をもち、子どもの成長とともに子宮から、母親、そして家庭、自然界や仲間、会社へと移行していく。 nagaalert.…

本質の無化から、無「本質」的分節へ

前回に引き続き井筒俊彦の『意識と本質』を見ていく。 本論に入る前に、井筒の使用する「分節」あるいは「無分節」ということばであるが、『意識の形而上学~大乗起信論の哲学』のなかでこう解説されている。 仏教古来の術語に「分別」という語があって、ほ…

1/allではなく、all/allとして観るために

『〈仏教3.0〉を哲学する』のp218で藤田一照さんがいいます。 (以下引用) それで二つの自己というのを、すでに内山老師は言っていて、僕らは普通には1/all(オール分の1)という自分を自分だと思い込んでいるっていうんですよ。これが今までの議論だと平…

「自己ぎりの自己」とワン・テイスト

前回の続きです。 『〈仏教3.0〉を哲学する』p110に出てくる内山興正氏の描いた第5図について永井均氏はこう話されていました。 「わが生命」は中に入っていないで、外に出ているんです。その一員として何かヤリトリはしていないで、その様子を外から見てい…

〈私〉と、疑いようのない意識

ケンウィルバーの『存在することのシンプルな感覚』(The Simple Feeling of Being)は、訳者松永さんも言われたように最終章がたいへん素晴らしいのですが、私は「目撃者」とタイトルがふられた第1章にも大いにインスパイアーされました。その中に『〈仏教3…

「実存としての自己」を直覚させる「あなたはあなた」

「かぶき者慶次」という時代劇を見た。関ケ原の戦いの後、石田三成の子を前田利家の甥にあたる前田慶次がかくまって、上杉家の領地である米沢の地で秘かに育てているという設定である。前田慶次は実在した人物だが、石田三成の子はドラマでの名は新九郎とい…

これらは実は〈中〉だった!クラインの壺の神秘

眼から外の世界に見えているもの テーブル、椅子、棚、床、窓、カーテン、外の景色、自分の手足 などなどのこれら 両腕を後ろに回して、手の甲を重ねてみる 蝶が翅を閉じているときのように そこから、ゆっくりと、巨大な岩の扉を開くように 周りに見えてい…

生きかた「知縁」カフェ第3回についてのお知らせ

今年の9月25日に出版された3人の鼎談からなる『〈仏教3.0〉を哲学する』がとても面白いです!! このことを受けて、第3回の生きかた「知縁」カフェの3つ目のテーマとして、以下の内容を書き添えました。 「観察者としての自己」を取り上げ、藤田一照氏、永井…

第4回生きかた「知縁」カフェ

脳科学の視点を取り入れ、ウィルバー哲学、マインドフルネス、ACT、アドラー心理学などを横断的に学ぶ勉強会です。ソーシャルビジネスへの展開も視野に入れ、交流します。 【生きかた「知縁」カフェ第4回 内容】 ①今回のテーマ:最近のブログから「人類進化…

青空としてのわたし

このブログでいつも伝えたいと考えていることを「直球、ストライク!」という表現でタイトルになっている鎌倉一法庵住職の山下良道さんの著書「青空としてのわたし」を読みました。 良道さんはもともと曹洞宗僧侶でアメリガでの布教経験を経て、ミャンマーに…

非二元への扉、世界とぴったり重なっている私

まず、ウィルバーの「存在することのシンプルな感覚」の訳者あとがきで、松永太郎さんが書かれた文章を抜粋したいと思います。 (以下引用)この非二元への開眼は、恐ろしくシンプルで、誰にでも開かれている。徹底的に「平等」である。修行したり、勉強した…

思考から莫大な量の意識を解放する

エックハルト・トールのいう5つのポータルとは、Now、Surrender「明け渡し」、Space、Silence、Inner Bodyであることは前に取り上げた。 5つのポータル - ウィルバー哲学に思う しかし、The Power of Nowをよく読んでみるとcessation of thinking「思考を停…

アイデンティティを強めようとする傾向に気づく

20歳代の後半だったように思う。自分はいったい何がしたいのか。何が生きがいなのか? どんな時に仕事にやりがいを感じるのだろうか?とよく考えたことがあった。 そのときの結論はかなり長い間、私の中で疑問視されることなくあった。 その時に得た結論は、…

Meというスーツを脱いで「背景にある感覚」に気づく

昨日から今日にかけて2つの英文ブログ(エリック・トンプソンとエックハルト・トールの最新記事)を読んだ。「いい内容だ」という印象と、互いに共通する点もあるなあと感じ入り、日本語訳を残したい思いもあって、気づきのあったことを含め、以下に書かせて…

Natureを支配しようとすること(Objectify)の逆説

かなり前から取り上げたいと何回か思ってきたテーマなのですが、自分の中でクリアーになりきれていない部分が残っていました。 しかし「緊急のモードで、モノやことを対象化することは感情移入を減じ、分離感をつくりだすことで、経験から私たちを遠ざける」…

インテグラル・コーチングに参加して

先週の木曜日に上京し、インテグラル・ジャパンの鈴木規夫氏の「インテグラル・コーチング」に参加しました。その場にいた全員の刺激を受けて、触発され、さまざまなものが自分の中に喚起されていましたが、今日になってほぼ整理できたように思います。 大変…

「悪い無限」を空なる心の自由へと反転する、それは「無形の位」

David LoyのLack and Transcendenceの中には興味深いことがいくつも書かれています。 P94から、私が朱線を引いたところを以下にいくつか抜粋してみます。(以下引用拙訳)〔 〕は私の補記です。 私たちの最も問題となる二元性は、死に対する生ではなく、自己…

絶えまない欠乏の感覚(a sense of lack)をもたらすもの

インテグラル・ジャパン代表である鈴木規夫さんのブログの次の文章、に惹かれるものを感じ、特にa sense of lackとthe Atman Project にピクンとしてDavid LoyのLACK AND TRANSCEBDENCEを購入しました。 http://integraljapan.net/wordpress/suzuki/?p=218よ…

ゴスペル・クワイアの至高体験

「インテグラル理論と実践が自分にどう役立ったか」を考えていて、先週お会いしたhuman noteという団体の活動の源泉にマズローのいう「至高体験(perk experience)」があるのだという洞察は、ごく最近インテグラル理論が役立った事例の一つだとあらためて思…

Absorptive−Witnessingその2、主客転倒せよ!

前回の続きです。 アイデンティティの最も高いStageであるAbsorptive−Witnessing段階の特徴の二つ目は、「目撃認知へのアクセスの増加」(Increased Access to Witnessing Cognition)です。P153のこの節を読み、これと関連したP77の「認知の発達ライン:ポ…

不動、不変の視点、龍とわたし

「わたくし、すなわちNobody」とは2007年に46歳の若さで、がんで亡くなった池田晶子さんの著作をマネジメントしているNPO法人の団体名称です。すぐれた文芸作品に対して「わたくし、すなわちNobody賞」を授賞することもしています。 知っているNPO法人…

私とは誰か?自己同一性のライン

今回はインテグラル理論の発達ラインの中の自己同一性(セルフ・アイデンティティ)のラインを取り上げたいと思います。 LeovingerとCook-Greuterがその研究者として名前が上がっていたので、探していたらクイーンズ大学の心理学のサイトの中にコンパクトに…

I AMness

なんとなくウィルバーのWitnessを探しているとYouTubeで、彼が詩の朗読のような感じでアイアムネス、アイアムネスと繰り返している動画に遭遇しました。これはI amにness をつけた言葉に違いないと思ったので、すぐに興味を持ちました。調べていくうちに次の…

自伝的記憶が形成したアイデンティティとの同一化をやめる

今日は4月11日に続いて「わたし観の転換Ⅱ」を書きたいと思います。 私たちは「私とはこのような人だ」と考えるとき、そのベースとなる自分の過去の出来事の記憶を持っています。このような記憶を自伝的記憶といいます。自伝的記憶は次のように説明されていま…

僕って何? 〜わたし観の転換〜

「僕って何」は芥川賞を取った三田誠広の本の題名ですが、(たしか高校生のときに課題図書で読んだ記憶があります。)この僕って何なのか、私とは?ということに関して、それまでの認識がまったく間違っていたんだ、(本のことではなく)と気づき始めたのは…

「空」とキャンバスと本当の自分

ケンウィルバーの著作の中で最も好きな 「存在としてのシンプルな感覚」の終盤、第7章〜第9章はよかった。 たぶんもう3回は読んだと思いますが、本当にいいです。 その中で、龍樹の それは空でも、空でないものでもない。 その両方でも、その両方でないので…