ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

空(くう)

虚無感すらも無い

前回のブログで「虚無感すら無い」と書いた。これは、 「何も無い」(すなわち虚無)でも「何もないのでも無い」 という絶対否定を表した言葉だ。 「何もない」と聴くと、あるはずのものが全て失くなるような、あるいは私という存在がなくなってしまうような暗…

Never Ending Story

田坂さんは死の虚無感が無意識に与えるダメージを述べ、科学と融合した新しい宗教的叡知の必要性を訴えている(『死は存在しない』田坂広志著 p335-337)。ミヒャエル·エンデのネバー·エンディング·ストーリーを思い出した。虚無(The Nothing)によって蝕まれ…

悲観的シニフィエを看破し続け闊歩する

5億光年の宇宙地図〈ラニアケア超銀河団〉(NHKより) 新年あけましておめでとうございます。 まず、このタイトルを元日の記事に持ってきたのは、忘れてはならない貴重なコンセプトであると、昨年10月ごろから幾度となく思い返したからです。 私たちは得てし…

「目撃者の自己」と「複雑系の自己」

ウィルバーのいう「目撃者としての自己」と、ここ何回か記事で取り上げてきた「複雑系としての自己」を対比させて示せないかと考えて以下のような図を描いてみた。 上図は「目撃者としての自己」(目撃者の自己)の広がりを私なりに示したものだ。I(個人の…

徹底的な安心感とマトリックス

平成29年6月10日のブログで吉福伸逸氏のいうマトリックスのことを書いた。それはエネルギー源の提供、徹底的な安心感、排泄物の処理という3大機能をもち、子どもの成長とともに子宮から、母親、そして家庭、自然界や仲間、会社へと移行していく。 nagaalert.…

インフレーションの「真空のエネルギー」と空の充溢

「複雑系としてふるまう創造的進化の原動力」としてのエラン・ヴィタールと、私たちの「内なる躍動」が共振するのではないだろうか?と考えています。 そしてその共振する感覚こそ「生命の躍動」であり、その感覚は望ましい生き方のシグナルなのではないでし…

次元が上がると「一つ」に見える

経営マトリックス研究所のマークであるヘキサ・キューブ(hexa-cube)について、また新たなことに気がついたので、今回はそれを書きます。今年1月1日のブログ「次元を行き来するヘキサキュ―ブ、元日の夢」の続編です。 (上の図表は次元を理解する参考にして…

〈私〉と、疑いようのない意識

ケンウィルバーの『存在することのシンプルな感覚』(The Simple Feeling of Being)は、訳者松永さんも言われたように最終章がたいへん素晴らしいのですが、私は「目撃者」とタイトルがふられた第1章にも大いにインスパイアーされました。その中に『〈仏教3…

次元を行き来するヘキサキューブ、元旦の夢

新年あけましておめでとうございます。 元日に新しい会社の商号「経営マトリクス研究所」のマークの初夢を見た。これは正夢である。 2次元平面に描く正六角形(ヘキサゴン:hexagon)は、3次元の立方体(キューブ;cube)にも見えるという考えてみれば不思議…

無我とは本質なき実存、主体としての空

〈画像はintegrallife.comの Integral Mindfuinessより〉 藤田一照氏、永井均氏、山下良道氏鼎談『〈仏教3.0〉を哲学する』を見ております。 第1章に、「無我と本質と実存」という節があり、たいへん興味深く読ませていただきました。主に永井氏によるコメン…

円相(円窓:えんそう)を常に意識する

忘れてはいけないイメージ。 今この瞬間の「意識の野」に、鳥の声、朝の匂い、窓からの景色など、すべてのものが生じている。 その気づきを忘れないでおくこと。 その気づきを常に思い出すこと。 その気づきのイメージは楕円のような気がしていた。 その気づ…

Aware Presenceと、Ever-Present Awareness

ルパート・スパイラはその著書『プレゼンス』のなかで、「わたしとは誰か、なにか?」という問いに対して、「わたし」とは「Aware Presence(気づいている現存)である」といっています。 これと似た表現にウィルバーのEver-Present Awarenessがあります。 …

青空としてのわたし

このブログでいつも伝えたいと考えていることを「直球、ストライク!」という表現でタイトルになっている鎌倉一法庵住職の山下良道さんの著書「青空としてのわたし」を読みました。 良道さんはもともと曹洞宗僧侶でアメリガでの布教経験を経て、ミャンマーに…

水平軸から垂直軸に、立ち位置を変える

先日の小児がん脳腫瘍全国大会でフランクル研究の第一人者である山田邦男先生に「実存的苦悩とどう向き合うか」についてお話しいただきました。 実存的苦悩とは何かをふまえた後で、「実存的苦悩をいかにして克服するか」について、いくつか文献や例を挙げな…

スクリーンのような自己の本質

ウィルバーは著作の中で、映画のスクリーンを見ている観客の立場という喩えで、観察者としての自己(Witness)を解説していますが、前回紹介したスパイラのPresenceの中でも、自己の本質をスクリーンに喩えて解説している部分があります。 読んでみて、これ…

非二元への扉、世界とぴったり重なっている私

まず、ウィルバーの「存在することのシンプルな感覚」の訳者あとがきで、松永太郎さんが書かれた文章を抜粋したいと思います。 (以下引用)この非二元への開眼は、恐ろしくシンプルで、誰にでも開かれている。徹底的に「平等」である。修行したり、勉強した…

概念としての自己をPRしている自分を見て笑おう

今回みていくのはACT(アクセプタンスコミットメントセラピー)の「観察者としての自己」です。ウィルバーのいうWitnessであり、目撃者、あるいは観照者と訳されています。このブログでは基本的に目撃者と書いてきました。これは、清水博先生のいう場所中心…

すでにそうであることこそ破線ではなく、実線。

あらゆるモノやコトに内在する「無根拠性」にどのような姿勢で臨めばよいのか?ということを考えていました。 この「無根拠性」は、以前David Loyの著書から引用して「絶えまない欠乏の感覚(a sense of lack)をもたらすもの」 絶えまない欠乏の感覚(a sense …

複雑系としての空を理解し経験の質を変える

フランシスコ・ヴァレラの『身体化された心』が面白い。 現実は客観的事実として、われわれから分離、独立してそこにあるのではないことが色視覚の例を引いて記述されている。 英語圏では緑と青を識別するが、メキシコのある種族では緑と青を区別する言葉が…

曇りなき眼で見つける青い鳥

前回のブログで「言葉で言い表せないものの価値を見出す」と書いた。そしていろいろと思いを巡らせるうちにやっぱり「青い鳥」ではないのかとの思いが強くなり、メーテルリンクの「青い鳥」(新潮文庫)を購入して読んでみた。 ご存じの通り、クリスマスイブ…

照見五蘊皆空と参観日の思い出

(これは一昨年の10月頃に書いたブログですが、アップしていませんでした。前回のブログとも関係するのでここに掲載します。) 玄侑宗久さんの「般若心経」を再読していて五蘊の働きにより、物事を認識するプロセスを確認していました。 五蘊とは「色(しき…

絶対肯定としての「トンパ・ニ」

ミンゲールの「今、ここを生きる:The Joy of Living」の 第4章 空―実在を超えた実在 のP80で「空」のことがこう説明されている。 心をただ休める時に経験する広々と開いた感覚を、仏教では「空」と呼んでいます。・・・「空」という言葉を「無」("the Void” o…

今日一日をどういう状態で過ごすか?Presenceの持続。

今日一日をどのように過ごすか?に答えを出したくて整理した。 一言でいうならば「Presenceを持続する」ことに尽きると思う。 右の図は、白く抜いている吹き出しが、マインドの働きである。 時間的にNowではないPastとFuture、空間的にHereではないthere、そ…

マインドとの脱同一化と、絶対否定

エックハルト・トールがくどいほど繰り返しいっていることのひとつは「マインドとの脱同一化」である。 昨日ちょっとした心理的緊張状況があり、そのことをエックハルト・モデルを使って振り返ってみた。 対人関係の場面で先方が発したメッセージに対して、…

お金への強迫観念は空性への抑圧から

David LoyのLack and Transcendenceの第5章Trying to Become Realという章を読んでいます。彼がこの本の中でキーワードとしている個人の「欠乏の感覚(a sense of lack)」は、広く社会行動や制度の集合的な無意識に組み込まれていると言います。中世の終わ…

色即是空と空即是色の完璧な解説

これは色即是空、空即是色の完璧な解説だと思われる部分を「存在することのシンプルな感覚」P138〜139に発見しました。(「進化の構造2」P14〜16に対応しています。)といいますか今までにも何回か目を通したことのある文章でしたが、あらためてここは本当…

「悪い無限」を空なる心の自由へと反転する、それは「無形の位」

David LoyのLack and Transcendenceの中には興味深いことがいくつも書かれています。 P94から、私が朱線を引いたところを以下にいくつか抜粋してみます。(以下引用拙訳)〔 〕は私の補記です。 私たちの最も問題となる二元性は、死に対する生ではなく、自己…

絶えまない欠乏の感覚(a sense of lack)をもたらすもの

インテグラル・ジャパン代表である鈴木規夫さんのブログの次の文章、に惹かれるものを感じ、特にa sense of lackとthe Atman Project にピクンとしてDavid LoyのLACK AND TRANSCEBDENCEを購入しました。 http://integraljapan.net/wordpress/suzuki/?p=218よ…

インテグラルとは「苦悩を乗り越えるのに役立つ知の体系」

玄侑宗久さんの現代語訳「般若心経」を読んでいて、観音さまは自分(の身体と心)というものがすべて「空」であることを見抜いて一切の苦厄から救われたのだという 照見五蘊皆空 度一切苦厄。 この解説をスタートとして、この数週間でいろいろなイメージが広…

不動、不変の視点、龍とわたし

「わたくし、すなわちNobody」とは2007年に46歳の若さで、がんで亡くなった池田晶子さんの著作をマネジメントしているNPO法人の団体名称です。すぐれた文芸作品に対して「わたくし、すなわちNobody賞」を授賞することもしています。 知っているNPO法人…