ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラーなど、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

Stillness Speaks

エックハルト・トールのタイトル名の翻訳本を読んでいます。
静止の語り、といった感じでしょうか。ケンウィルバーの「進化の構造」を訳した松永さんがエックハルトトールはいいよと薦めておられたのがきっかけです。
以下の文に線を引きました。
・・・退屈と欲求不満の状態にとどまり、それが「どんなふうに感じられるか」を観察してみるのです。意識を感覚に注いでみると、突如として、感覚の周囲にいくらかの「空間」と「静止状態」を感じはじめます。・・・
 idea of Ken Wilber のサイトを運営する高橋さんが松永さんのさんの講義について同じようなことを記載しています。
(以下引用)
普段、注意はすべて実線部分(マインドや感情の流れ)にのみ注がれている。ここでは、「私=感情、思考」である。この自己同一化にあらゆる苦しみの原因がある。空白部分(上でいうと空間、静止状態=Stillness)に注意を注ぐと「私が何者でもないことに気づくことができる」という(silenceへつながるような気づき)。「ここに安らぎがある」。・・・「これができるととても楽なんですよ」・・・。
 この感情、思考、(客体)に気づく「本当の自分」(主体)こそ、ケンウィルバーの「存在することにシンプルな感覚」の第1章、目撃者なんだろうと思いました。思考、感情、欲求は雲です。心の中を漂い流れ去る雲です。雲のない部分には青空が広がっています。青空は静止しています。青空が空白部分。青空が「本当の自分」です。