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ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、そして近年ブームのアドラーまで、脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

「特別扱いできない」という遂行矛盾

昨日、小児がんの子どもの復学を考えるセミナーを開催しました。その中で分かったことがあります。復学がうまくいかない原因の一つとして、担任教師が「特別扱いできない」という遂行矛盾に陥っているのではないか、ということです。小児がんの子どもは退院してきても抗がん剤治療を一定期間続けることがあります。その場合、感染症のリスクが高いため土いじりや生きものに触ることは避けなければなりませんし、ホコリにも注意する必要があります。このことから掃除や野外活動は休んだ方がいい場合があります。しかし、時として生徒を「特別扱いしない」ことを美徳としている教師に出会うようです。そのような担任教師のクラスでは「えこひいきしない」そしてさらに「特別扱いしない」ことを美徳とする価値観がクラスメイトにまで浸透しています。(ケンウィルバーの4象限の左下の間主観的側面)そのコミュニティの価値観のなかで、復学した子どもは「サボりと思われないか」「えこひいきと言われないか」という不安を抱きますし、実際に「○○ちゃんだけ特別扱いでずるい」といじめられることもあるのです。そもそも「特別扱い」しないという教師の方針は生徒に対して平等であろうということの現れであると考えられます。しかし皮肉なことに「多少の障害があるからといって特別扱いできない」という考えが「子どもの権利条約」の「守られる権利」(障害のある子どもや少数民族の子どもなどは特別に守られる)の平等な享受を妨げるのです。あるいはそのような子どもにも平等に育つ権利(教育を受け、休んだり遊んだりできる)、参加する権利が与えられるべきであるにもかかわらず、「特別扱いしない」ことが、これらの権利を侵害するのです。すなわち「平等な態度であろう」とすることが「機会の平等を妨げることにつながりうる」という『遂行矛盾』に気付いていないのではないでしょうか?