ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

恐怖に身を任せる5秒の方法

海外の連続ドラマ「LOST」は無人島(?)に飛行機が墜落し、展開するドラマですが、その第1話に医師のジャックがケガをして、背中の切り傷を麻酔なしで縫ってほしいと女性のケイトに頼む場面があります。墜落の恐怖も覚めやらない彼女、、震える指先で裁縫用の糸を針に通そうとします。あなたはどうしてそんなに冷静でいられるのか、とジャックに尋ねます。ジャックは自分が患者の脊髄の手術をして、ミスをしかけた時の恐怖をケイトに話します。そして、突然恐怖に襲われた自分は、その時恐怖から逃げようとしたのではなくて、恐怖に身を任せた、ただし5秒だけ。・・・1,2,3,4,5。それで恐怖は去っていった、と過去の出来事を回想します。そのあとの場面で島にいる「何か」に襲われ、必死で逃げて隠れた時、恐怖でパニックになった彼女はジャックの言ったその方法を試します。1,2,3,4,5・・・。彼女は落ち着きを取り戻します。


ラリー・ローゼンバーグの著書「実践ヴィパッサナー瞑想:呼吸による癒し」の第2章〜感受と共に呼吸する〜の中に、次のような文章があります

。<以下抜粋>
恐怖に対する一般的な反応として、私たちは戦場を創り出します。恐怖は恐怖から自由になりたいという激しい熱望と戦争しています。そのプロセスが発生している心と体がその戦場です。・・・ここでの修行は、そのプロセスをひらくこと、そのすべてが自分の一部であることを理解することです。恐怖、恐怖から自由になりたいという熱望、心と身体、それらを観察している気づき、その気づきを増進させる意識的な呼吸。私たちはそれらのすべてと共に座ります。恐怖のような強い感情に対しては、まず最初は自分がどうやって逃げ出そうとしているかを観察するのがせいぜいでしょう。否認したり、抑圧したり、説明したり、逃げ出したり、空想している自分を観察するのです。やがてある日、恐怖が生じても、注意がそれをサッと出迎えて、ひとつになり、恐怖がその花を開くに任せられるようになります。・・・自分の恐怖を見つめてそれを認めること、自分は恐れているという事実を確認することが出発点になります。・・・恐怖のように強烈なものであっても、意識的な呼吸を使いながらそれと共に存在します。それと共にとどまります。あるがままにします。最終的にブッダが感受に関して言ったのはそのことです。「悟ったものは感受の生起と消滅をありのままに見る。それらを味わうこと、それらが生み出す危険、それからの開放をありのままに見ることによって、すべての執着から開放されて自由になっている」<抜粋ここまで>

 


ジャックの恐怖に身を任せる5秒の方法はこの「感受と共に呼吸する」のエッセンスを要約した方法なのかもしれませんね。