ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラーなど、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

呼吸を日常生活の気づきに利用する

実践ヴィパッサナー瞑想「呼吸による癒し」の第6章日常生活と共に呼吸する、を読んでいて「ああ、やっぱり私が高校時代に経験したことのある、あのやり方でいいんだ」とあらためて思いました。

特に関心を引いたのはこんな文章です。

(以下引用)呼吸は現在の瞬間に触れるための入り口であり、今・ここに対する注意力を高めはしても、低くするようなことはありません。

1日の中には呼吸だけに専念できる時間があります。エレベーターを待っている時間、お店で店員が伝票を書いている時間、映画の列に並んでいる時間、ふだんならイライラしてしまうような時間をこのように利用することができます。

赤信号を、呼吸に集中して、気分を変える機会として利用することもできます。

地下鉄の座席に腰を下ろして、私は現在の経験に注意を払ってその瞬間を生きます。自覚を持ち込むことによって、いつも死んだ時間に命を吹き込むことができるのです。

呼吸への注意はその背景で、心がどこかほかへ行かないようにしてくれます。

尋ねてきた人が話をしている間、私はその言葉に集中します。背景にある呼吸はそのための援助になります。

一人の人に集中することから、あるいは食べ物を一口かじることから、より広いフォーカスへと移動しながら、大勢の人を撮ることができる広角レンズのように、細部はそれほどではなくてもその状況に完全に気づいているのです。(引用ここまで)

高校1年生と3年生のある時期そのようにできた期間が少しあったのですが、当時は自己流でもちろん呼吸を利用していたわけではありませんが、とにかく「こんなかんじ」「お〜とっとまたまた、もどろうもどろう」というようにやっていました。

ずーと忘れていたことでした。

「呼吸への注意はその背景で」、「背景にある呼吸」という表現は重要なポイントではないかと思います。また「広角レンズのように」というのも「場所中心的自己」に通じるものがあります。

次回は呼吸への気づきと今・ここ、そして目撃者、場所中心的自己などを整理してみたいと思います。