ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

実は客体などなかった!

「世界をありのままにみる」ということと「エゴをみる目撃者」をどう統合すればいいか、整理しきれていなかったのですが、ウィルバーの「存在することのシンプルな感覚」(元は意識のスペクトル)にこうあります。(P212 原書P144 )

 

「見者」すなわち「あなたの内部にあって、それによって知るもの」
は実際にはそれが見ているものと分離しているわけではない。
The Seer, the THAT IN YOU WHICH KNOWS, in actuality is not
separate from what it sees.

「それは、それが見ているもの」
It is what it sees.

「知るものとは、それになることによって、それを知る」
The knower sees a thing by being that thing.

トマス・アクィナスが言ったように「知は、知られる対象が、
知るものの内部にあるかぎり、もたらされる」のである。
Knowlege comes about in so far as the object known is within
the knower.

 


特にこのby being that thingというところがすごい。
見者はエゴに対しては同一化しないように見ることがポイントとなりますが、世界をありのままにみるときは、そのレフェランに対して同一化し、そのものになることでそれを知る、ということになります。

そう、実は客体などなかった・・・のです。