ウィルバーの「意識のスペクトル」では、ペルソナと、投影された影を統合して健全な自我を回復した後、自我(心)と身体とを統合してケンタウロス(心身統合体)に至ります。これは無境界(非二元、統一意識)に向かう途中のアイデンティティ拡大の1プロセスなのですが、このケンタウロスに至るための方法のひとつとして、トーレのいうインナーボディを位置づけることができるんじゃないかと気づきました。
(以下、存在することのシンプルな感覚P178からの抜粋)
ほとんどの人は、ずっと以前から身体を失っている。…実際には「わたし」なるものはちょうど騎手が馬に乗っているように、自分の身体に乗っている。「わたし」はそれをたたいたり、ほめたり、食事を与えたり、きれいにしたり、時には世話をやく。…実際、私の体は、ただわたしの下にぶら下がっているものである。わたしは世界に対して「身体といっしょに」接するのではなく、「身体の上で」接している。…身体は下のほうにある。そしてわたしは、下にあるものに何となく居心地の悪いものを感じている。わたしの意識は、ほとんど頭だけの意識である。わたしは頭である。しかしわたしは身体を所有している。身体は自己から所有物に格下げされてしまう。…身体は、ちょうど影のように対象、客体、投影などとなる。境界線が統一的な有機体のなかにひかれ、身体は自己でないもののほうに追いやられる。
(そして、風船のように呼吸するエクササイズが紹介された後、以下P176からの抜粋)
身体と心、随意と不随意、望むことと自動的に起こることの分裂を癒す、このシンプルなヒーリングの作業によって、自己感覚とリアリティに重要な変化が見られるようになる。不随意な身体があなたを所有していると感じていたとすると、それだけ、あなたは自分がコントロールできないプロセスを完全に自然に受け入れることができるようになる。あなたは、コントロールできないことを受け入れ、自動性(自然に起こること)をリラックスして受け入れるようになる。そして…より深い「自己」を信頼するようになる。…実際、あなたの深い「自己」あなたのケンタウロスは、あなたのコントロールを超えているのだ。それは随意であり、不随意である。自動的であり、意思的である。そのどちらもあなたの顕現として受け入れることができるのである。
これはすごい文章ですね。そうだったのですね。私たちは反対ばかりしていたということです。人生の出来事を何とかコントロールできないか?そのためにどうすればいいか?そのために自分のレベルを上げようと…
実はそうではなかったのです。そのような努力をすればするほど遠ざかっていたのです。心身一如へとアイデンティティが拡大することで、uncontrollableを自然に受け入れることができるようになり、深いリアリティを感じることができるようになる、のです。映画 禅ZENの「あるがまま」が思い浮かびました。
そしてそのために重要なことはトーレの表現で言うと、「外界と思考だけにすべての意識をそそがないこと」、「人と交流している時や自然に接している時には、特にインナーボディを感じるようにする」「その奥にある沈黙を感じる」「意識の余白の部分をインナーボディに向ける」ことなのだと思います。
結局、How to beに戻ってきました。
そして、どうあればいいか?というと
Stay in the Nowであり、
Stand in the Stillness であり、
Rest as the Witnessであり
Feel light in my body であり
Ever-Present Awareness ということなのではないでしょうか。