ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、そして近年ブームのアドラーまで、脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

「私たち」という奇跡

ウィルバーのインテグラル・スピリチュアリティの第7章のタイトルは『「私たち」という奇跡』です。これは、AQALの左下の象限についてそれを内側から見たゾーン3と外側から見たゾーン4について書かれています。この象限についても一定の理解をしているつもりではありましたが、あっ、そういう感じ、「私たち」といったときに意識できる世界(境界)のことか、と腑に落ちたような気がしまた。

印象的な表現を拾ってみました。

もし、スピリットを直接知りたければ、私たちという言葉を使うとき、どんな感じが起きるのか、深く感じてみることだ。いったいこの「私たち」という奇跡は何なのだろうか。(P219)

個人のホロンは支配的単子を持っている、社会は、相互共鳴の支配的なモードを持っている(P220)

個人(個体)が、そのメンバーとしてグループに適合するためには、そのグループが使っている基本的なコミュニケーションと共鳴していなければならない。(P220)

AQALでは「同じ波長をとる」とは、・・・またそれは、シニフィエ、あるいは意味、相互共鳴という内面を持っている。それは左下「私たち」の領域である。(P221)

グループメンバーで共有される相互共鳴の支配的なモードが、グループの動きを統制する。しかし完全にグループをコントロールすることはできない。(P221)

あなたが、グループないし社会ホロンのメンバーになったということは、一つはこの、相互共鳴の方法をマスターした、ということである。(P221)

あなたと私は話し始め、共鳴し、分かち合い、理解するとき「私たち」が形成される。(P225)

興味深いことである。この「私たち」の豊かさ、複雑さはまったく驚くほどのもので・・・しかも、それは存在している。私たちは、お互いに理解することができる。あなたが私の心のなかに入り、私があなたの心のなかに入り、お互いがお互いに見えているものに同意する。何が起ころうと、これは奇跡というしかない。絶対の、驚くべき、奇跡である。しかもそれは存在している。(P225)

私たちが友達と一緒にいるとき、私たちは共有する感情を味わい、お互いを理解していると感じ、考えが一致している、と感じる。あるいは感情を共有したり、感覚の実際の肌触りを共有したり思想、感覚などを共有する。これらは共有空間の実際のテクスチュアであり、内側から見た「私たち」である。(P227)

内側から見たとき、私たちはシニフィエ(意味されるもの)の塊を持っている。・・共有されたヴィジョン、欲求、葛藤、などの空間であり、愛と失望、義務と破られた約束、相互理解と裏切り、あなたが人生で「大事なこと」と呼ぶ、ほとんどすべてのアップ・アンド・ダウンである。すなわち感じとられる関係の網である。(P228)

「私たち」はあなたと私がお互いに理解をし、愛し、憎しみ、多くの点で自分の存在の一部と感じる、という不思議なものである。(P229)

解釈学の本質的な主題は、理解するという活動である。主体を、相互主体に結合させる活動である。これは、一人では知覚できない世界を生み出す。これが奇跡なのである。間主観性は、主体と客体を変化させる。間主観性が生み出す世界の質感は、単なる主体性によっても単なる客体性によっても、見ることも感じることもできない。これが左下象限の世界である。これが私という存在の、あらゆるレベルにおける「世界内存在」の、否定のしようの無い次元であり、光景である。(P229)

2006年09月23日(土)に書いた「Membership GroupとReference Group」というブログのことを思い出しました。この、お互いがお互いに見えているものに同意している私たちが、一人では知覚できない世界を生み出すことの奇跡。このように感じることのできる「私たち」があなたにはありますか?そのような世界がある、と答えることができるならば、それは本当にとても貴重なもの、大切なものだということでしょう。