ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

観の目とKeep some within

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「観の目強く見の目弱し、相手をうらやかに見るべし」とは宮本武蔵が兵法三十五箇条で書き記したことばですが、これは具体的にはトーレのKeep some withinを心がければよいのだということに思い至りました。

2006年07月30日(日)場所中心的自己のブログの中でも少し触れていますが、見の目が一般的な見方で物理的に相手を、あるいは部分を見るのに対して、観の目はゆったりと心を大きくもち、相手だけでなく自分をも含む場全体を鳥瞰的にみる目であるといえます。
イチロー選手がWBCで決勝打を打ったのもこの観の目という視点を持っていたことが、インタビューを受けた彼のコメントからも伺えます。

その時イチロー選手は、「ここでイチローに回ってきました。さあ、イチロー選手、打席に入りました。おーと、ファウルです。・・・」というように心の中で実況していたといいます。そんなときは大抵うまくいかないのですが…といっていましたが、それは心がしゃべっていて無心になりきれていないからという意味でしょう。

しかし彼は超越的自己の視点、場所中心的自己の視点に立っていたことは間違いありません。すなわち観の目でその場を捉えていたのです。彼は図らずも「観の目は強く見の目は弱く」という真剣勝負の極意を実践し、WBC優勝の決勝打を打ったのではないでしょうか。

柳生新陰流では「風水の音を聞く」という教えがあります(清水博著「生命知としての場の論理」P166)。

斬りあいに入る前、風が吹いたとか、水が流れたといった風水の音が聞こえないようでは駄目だということで、そういう心で相手に対していかなければならないという教えだそうです。Stand Stillですね。

トーレのKeep some within についてはPRACTICING THE POWER OF NOWのP64にこうあります。

As you go about your life, don’t give 100 percent of your attention to the external world and to your mind. Keep some within.
Feel the inner body even when engaged in everyday activities, especially when engaged in relationships or when you are relating with nature. Feel the stillness deep inside it. Keep the portal open.

Keep some withinを心がけ、stillnessを感じとることができれば観の目が開くのではないでしょうか。