ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、そして近年ブームのアドラーまで、脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

「過去」、「未来」はなく、「いま」しかない、ことについて

過去は記憶として思考のなかで体験され、未来は予期としてやはり思考のなかで体験される。

過去や未来を、直接に、見たり、聞いたり、匂ったり、触れたり、味わったりすることはできない。

このように(五感を通して)直接体験できるのは過去でも未来でもなく「いま」だけである。

過去は回顧という思考、未来は想像という思考によって疑似的に体験されるに過ぎない。(写真や記録映像では視覚や聴覚を通した過去を追体験できるといえるが、五感を通したありのままの過去は体験できない。)


しかし私たちはそのようなありのままの体験に身をおく状態であることはめずらしく、多くの瞬間を思考の中に埋没させている。

このように「いま」を蔑ろにしていることで、非常にリアルに体験できるはずの「いま」を体験できずにいる。

大円鏡智であるはずの鏡の心が思考によって曇らされ、リアルな「いま」を映し出せないのだ。
思い出そう。思考は道具であることを。表象化し、概念化できたことで言葉が生まれ、コミュニケーションが発達した。

思考は人類を豊かにする上で大きく貢献してきた。しかし思考は万能ではない。思考は苦しみや痛みという副作用をもたらす。

はさみや火と同じように、上手に使いこなすことが大切だということ。

このような観点に立ったとき、私たちはむしろ暴走して止まるところを知らない思考に歯止めをかける技を身につけなくてはならない。

思考に歯止めをかける技、それが瞑想、それが坐禅である。


リアルな「いま」の体験は平安、充溢、という感覚だけでなく、明晰さをもたらし、むしろ思考の効力を倍増させる。

思考と無思考の適切な切り替わり、スイッチのオンとオフが高い創造性、洞察力を発揮させるのだ。