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ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、そして近年ブームのアドラーまで、脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

思い出してきた、「今ここ」の感覚

エックハルト・トール 今ここ マインドフルネス

Eckhart TolleのThe Power of NOWを読んでいて、「今ここ」にあるときの感覚として「ぴったりと静止している」と書いてあるところ(和訳p96)があり、その部分を読んでからある感覚を思いだしました。

わたしは中学、高校と卓球をしていたのですが、その卓球の調子のいいときの感覚です。額から鼻筋を通って右手の指先にかけて、軽い圧迫感のような持続的な意識があり、球を上から見られるというか、卓球台に跳ねてからラケットに当たるまでのスペース全体を上から押さえることができる、という感覚です。額から右手にかけての感覚は、腕を振る軌道にあわせて立体的な三日月のようなエネルギーが身体のなかにあるイメージです。そんな時、球を打つ前に構えている状態が自分ではピタッと静止している感じでした。

もう一つは、授業で教科書やノートにメモを書き込んでいるときの感覚です。特に教科書の行間などに書き込むメモの書き方が文字のきれいさ、メモの内容、アクセントのつけ方などが自分の中でいい感じに表現できるとき、頭は明晰で、鼻がスーッとよく通り、書き込むことが何か楽しいようなそんな感覚です。そういう時はやたらと姿勢がよかったりします。鉛筆で書く、その書く感じ…そして耳から鼻にかけてから顔の上の部分、脳が然るべき所に収まっている感じでピタッとした静止の感覚があるのでした。

「今ここ」に「在る」ことを身体の感覚と結びつけて理解しておくことは大変重要ではないでしょうか。そして未来や過去やthereに心が漂いはじめたら、その感覚を頼りに「今ここ」へ戻ってくればいいことになります。

勝つと思うな、思えば負けよ〜♪

「勝つと思う」のは試合の結果という未来を意識した思考です。意識が「今ここ」にあってこそ勝つことができるのでしょう。