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ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、そして近年ブームのアドラーまで、脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

目撃者による実存的病理からの離脱

万物の歴史ではp294-p295を境に、進化の構造Ⅰではp414-p415を境にヴィジョン・ロジックの段階でおこる実存的病理からの突破(ブレイクスルー)の様子が描かれています。

進化の構造p413ではトルストイの言葉を引用してその苦悶を表現しています。

50歳になって私に自殺の観念を抱かせた次の疑問は、あらゆる疑問のうちで最も単純なものである。それはあらゆる人の魂のなかに横たわっているに違いない。「私が今やっていること、明日やるかも知れないことは、何になるのだろう。私の人生から、何が生まれるのだろうか。」言い換えれば、「なぜ生きていかなければならないのか?いったいなぜ、それを望まなければいけないのか?」いや、もう一度言えば、「私の前に避けがたく待ち受けている死によって破壊されないような人生の意味など果たして存在するのか」。

 


これが、鈴木規夫氏(インテグラルジャパン代表)のいうヴィジョン・ロジックのAlchemistsとしての記述「あらゆる価値観は人間が自己の実在感覚を増幅するために構築した虚構に過ぎず、その虚構の構築活動に参画することは、根源的問題の温存に参与すること。虚構の蔓延に荷担することにほかならない。」「この絶望がDark Night of Soul」に該当するものなのでしょう。

そしてこれはEckhart Tolleが29歳のときに感じた「絶望のどん底だ」という思い、あらゆるものの存在が無意味なことのように思われたといっていることと同じではないでしょうか。

そして「本当の自分」と「もう一人の自分」という二人の自分に気づくことによってEckhart Tolleの突破は突然にやってきました。そして次の瞬間、彼は竜巻のようなすさまじいエネルギーの渦を経験したのです。

実はこの「本当の自分」こそ「目撃者(Witness)」だと考えられます。

万物の歴史p295にこうあります。

ケンタウロスの時点までに、観察する自己は心と体の両者を一般的な意味で目撃・経験できるようになります。…この観察する自己とは何でしょう?…世界の偉大な神秘家、賢者たちの与える答えは、こうした観察する自己は、神、スピリット、まさに聖なるもの自体へ直進するというものです。…この観察する自己はふつう、大文字の「S」で始まる〈自己(Self)〉〈純粋存在〉純粋な気づき、意識それ自体と呼ばれ、この透明な目撃者としての〈自己〉は、生ける〈聖なるもの〉の直接光線なのです。

 



そして目撃者は身体と心の両者との同一化を脱する、つまりその両方を超えて含む、と続き、「心と身体はともに統合された自己の経験である」と書かれています。特にこの「経験」という表現にグッときました。通常は経験する主体は心のはずですが、ここでは心が経験になり、経験の主体は自己です。大文字の自己(Self)が心を経験するのです。

実存的病理を突破する目撃者、この目撃者への到達を「悲嘆のプロセス」の最終段階として位置づけられないか?と最近考えています。アルフォンス・デーケン氏のいう「新しいアイデンティティの誕生」、キャサリン・M・サンダーズ女史のいう第6の段階「魂の成長」という悲嘆のプロセスの最終段階、この最終段階のヒントは、実は心を客体として経験できるSelf=目撃者(Witness)を見出すことにあるのではないかと思うのです。