ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラーなど、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

道徳的認識力は勇気をもって高める能力(統合的な倫理2)

ウィルバーのILPの「統合的な倫理」の章を読み進めていくなかで、重要なことを3点ほど整理したいと思いました。統合的倫理の基本理念、3種の価値、統合的倫理のAQALの3項目です。

まず、統合的倫理の基本理念ですが、これはp261にThe Basic Moral Intuition(「基本的なモラルの直覚」)という節で説明されています。(以下引用拙訳)

基本的なモラルの直覚とは「最大の幅のために最大の深さを保護し、促進すること」です。深さは発達のレベルに関係します。―ヒヒはテントウムシより深く、テントウムシはアメーバーより深いのです。幅は、発達のレベルに関係なく、影響を受ける存在の数に関係します。・・・統合的な倫理は万人平等主義に、当然与えられるべき心遣いを結合します。それは垂直的に包含的な万人平等主義なのです。したがって、最大の幅のために最大の深さを保護し、促進する、なのです。すべての存在は貴重です。そう、とても貴重です。しかし発達的深さは特別な意味において貴重です。ドードー鳥の絶滅は地球を貧しくしました。しかしホモサピエンス(音楽、芸術、スピリチュアリティ、そしてすべての人類の文化を携えた)の絶滅は、地球をはるかにもっと貧困にするでしょう。
最大の幅のために最大の深さを保護し、促進せよ。まさしくそれをどうすべきかという点は、道徳的直覚、実践的知恵の偉大なる本分です。(引用ここまで)

この「最大の幅のために最大の深さを保護し、促進すること」は私がはじめ万物の歴史を読んで、眼からうろこが落ちた項目の一つでした。今回の表現は以前より大変洗練され分かりやすく感じました。

次に3種の価値ですが、それぞれの価値を説明する前に救命ボートのジレンマが紹介され、それを考える枠組みに3種類の価値を考慮にいれるべきであると書かれています。(以下引用拙訳)

古典的な倫理的難問は救命ボートのジレンマです。あなたの母船が沈みそうにもがいていると想像してください。そしてサメの出没する海域の救命ボートのキャプテンとして、あなたは恐ろしい選択に直面しています。そのボートには10人の人が乗っていますが、安全に乗っていられるのは7人です。困難な選択を避けるために全員を危険にさらすことは、道徳的にいって弁解の余地がありません。そう、あなたは行動せねばなりません―しかもはやく。・・・
もしたった一人だけが、適当であるとして、あなたはマザーテレサを救いますか?5人の若い母親ですか?あるいは才気縦横の人ですか?献身的な若いケガをした軍医でしょうか?・・・
これらは、深くて、逆説的で、答えるのが困難な問いです。ひとつの正しい解決策があるのではなく、いくつかの解決策は他よりもより正しいということです。(引用ここまで)

というように問題提起されたあと3種類の価値が紹介されます。これも万物の歴史で登場していたものです。訳語より英語の方が、ニュアンスをつかみやすい気がします。(以下引用拙訳)

Ground value(基底価値)は、すべての存在―クオークから草の葉、人類まで―は等しく、絶対的なスピリット、空性、真如、あるいは神の表現です。このgroundの意味において、すべての存在と自然なシステムは―特にすべての人は―無限大に貴重で、倫理的心遣いを受けるに値します。私たちの深さと幅の話のすべてで、このground valueに留意するべきです。

Intrinsic value(内在的価値)は、発達の深さと関係します。より深いことは、よりintrinsicな価値があるのです。思い出してください、深さは単純化しすぎた梯子ではないことを、そして深さに言及する(refer)とき発達のすべての側面に配慮すべきであるということを。
 
Relative value(外在的価値)は、特定の文脈における実用性を指します。例えば、シナリオを超えた救命ボートの中で、ケガをしている軍医は、マザーテレサほど大きなintrinsic valueをもたないかもしれませんが、しかし彼は決死の状況の中でもっと命を救うことができます。(深さと幅の両方の間でどんなに巧妙にバランスを取ることができるかを、あなたは知ることができます!)
(引用ここまで)


そしてこのような倫理的ジレンマにどう立ち向かうか、という話が続き、以下のように締めくくられています。(以下引用拙訳)

統合的な倫理は、進化の一般的な方向のなかで、宇宙の発達的な特性である上昇志向(エロス)を、私たちに指し示します。しかしそれは、頂上から底までの全体のスペクトルに対する思いやりの中で、全体の健康と福祉を保全しようとする意思(アガペ)をもって、私たちを地上にとどめるのです。
 相対的な善良さの規範的な判定を行うこの実践は、礼儀正しい、差別的でない(politically correct)、ポストモダンの社会からしばしば敬遠されます。しかし多くの人生の状況において、それは決定的に重要です。だからこそ道徳的認識力は、実習して高められる必要のある能力であり、それは勇気と明晰さと実践を伴うものなのです!(引用ここまで)

この道徳的認識力が実習して、勇気と明晰さと実践のもとに高められるべき能力である、という表現はウィルバーならではでいいですね。このようなジレンマに白黒つけること自体が不謹慎であるかのような(ポストモダンの)風潮(そして避けて通ればよく、努力もしようとしない傾向)の中で、高める努力をしよう、勇気をもって、そのことこそより倫理的である、という主張に、私は納得です!

統合的倫理のAQALは次回に回したいと思います。