ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラーなど、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

原理主義者とニューエイジは前合理的

Integral Visionの第5章でA Pre-Rational Mythic God and a Trans-Rational Unitive Spirit という節があり、前合理的、合理的、超合理的という段階において、超合理的は、前合理的と同様に非合理的であるとして同一視されてしまう「前/超の錯誤」について説明されています。そのなかでプレスとニューエイジを批判しているウィルバーの興味深い文章がありましたので紹介させていただきます。(以下、p129より引用、拙訳)

最後にさらに悪いことに、プレスは二つのタイプの宗教だけを認識しているように見えます:原理主義者の狂人とニューエイジの狂人です。両方とも、もちろん、前合理的です。原理主義者はアンバーのドグマと神話を信じており、ニューエイジはマゼンタの呪術を信じています。例えばトランスパーソナル心理学のような、どんな超合理的な姿勢(orientation)もニューエイジの狂人とひとまとめにされます。しかし一体全体・・・、ニューエイジ達は考えるのに値するほど真剣にはとらえられていないのです。プレスが知っているわずか2人の「スピリチュアル」な人は、ジョージW・ブッシュとオサマ・ビン・ラディンです。そしてプレスはどちらがより危険かの原因を理解する(figure out)ことはできないのです。(引用ここまで)



いかがでしょうか?私は、そうか、ニューエイジはマゼンタか、そうか、そうだなあ、と思いました。プレスは「前/超の錯誤」に嵌っているので、前合理的と超合理的を識別することはできません。プレスには合理的と非合理的の二つの選択肢しかなく、そのプレスが非合理であるとして知っている「スピリチュアル」な人の典型がブッシュとビン・ラディンだというのが可笑しいです。

プレスには深さの理解が不足しているので、マゼンタ、レッド、アンバーの違いを識別できません。どちらがより危険かfigure outできないのはそのためでしょう。


 日本においてもそうですね。オウムの麻原はマゼンタでした。日本の「スピリチュアル」もとんでもないものになっていて、ウィルバーの著作もときどき「精神世界」というくくりで十把一絡げに書店で扱われているのを見ると悲しくなります。


 それにしてもこの第5章Is This You? “Spiritual but Not Religious”は面白そうです。(まだちゃんとは読めていないので「そうです」です)

スピリチュアルな知性のラインは絶対に不可欠なものであるにもかかわらず、伝統的な宗教がアンバーを超えるレベルには対応できていないためおかしな現象が起こっているということです。これは実感です。小児がんで子どもを亡くした母親などは、伝統宗教は自分を救ってくれるどころか、そのしきたりはむしろ敵にみえる、と感じている人も多いでしょう。そしてそんな時に耳触りのいい癒しの言葉をささやいてくれる「スピリチュアル」の出番となっているのではないでしょうか。

しかしその「スピリチュアル」の中身は大丈夫でしょうか。

もともと合理的な人が前合理的な方向へと退行を起こしかねないものになっていないでしょうか。

本来は合理的を超えて超合理的なスピリチュアリティへと発達していかねばならないのです。前合理的―合理的―超合理的、しっかり識別できる知性を磨きたいと思います。
(注:今回の文章で「 」つきの「スピリチュアル」は引用した文章の表現を踏襲して否定的なニュアンスで使っています。)