ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

沈まぬ太陽と目撃者

山崎豊子原作、映画「沈まぬ太陽」を観て来ました。
そして「沈まぬ太陽」とは目撃者(Witness)ではないかと強く感じました。

恩地が、最初は左遷され、否応なく赴任したアフリカの大地ですが、
最後にはそこに強く惹かれる自分を認識します。
それは過酷な中にも力強い生命の営みが営々と果てしなく続けられる場所です。
御巣鷹山で家族を亡くした遺族に寄り添う恩地は、
アフリカの大地で繰り広げられる生と死、飽くなき生命の物語、
それを抱擁する草原の大地、その大地を照らし出す、照らし出し続ける「沈まぬ太陽」に自身の心の置き場を感じたのではないでしょうか。

繰り広げられる生命のドラマは無常です。
来てはしばらくの間とどまり、そして去っていく雲です。
移り行く季節、移りゆく動物たち、溢れるような生命の織物の実感です。

行天は権力への執着からもはや自力では逃れられない男として描かれています。
強者どもが夢のあと。栄枯盛衰、諸行無常です。
社長室からアフリカに戻ってきた恩地自身も。
色即是空。

それに対して「沈まぬ太陽」は普遍です。
恩地のあきらめない心だ、という人もいますが、そんな小さなものではありません。
明遍照十方世界としての「沈まぬ太陽」であり、不動の空性、
すでに常に現前する目撃者です。

なぜかそんなことを感じたので、昇る朝陽を浴びながら少し書きとめました。