ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

曇りなき、眼で見定める Suchness

起こるがまま」と「あるがまま」に思いを巡らせていて、ふっと気づいたのですが、あるがままSuchness(真如)とは、「曇りなき眼(まなこ)で見る」ことと共通するものがあるのではないでしょうか。


「曇りなき眼で見定め、決める」とは、宮崎駿映画の「もののけ姫」の主人公であるアシタカが、たたり神を見つけてどうするのか?と問われ、それに答えた言葉で、とても印象的であり、記憶している方も多いと思います。


 私たちはモノあるいはコトを見るとき、どうしても先入観、概念、イメージなどをもって見てしまいます。思考のフィルター、よく取りがちな視点のレンズを通してみることが習慣になっていて、無意識にシニフィエをもってレフェランを見てしまうのです。
 ゴッホに感銘を受けた版画家である棟方志功のドラマを見たことを思い出しましたが、彼が、富士山を見て絵を書いている彼女に言った言葉もたしか「自分が思ったように、見たように描けばいいんじゃ」「富士が赤く見えたならそのように描けばいい」というような会話だったように記憶しています。


 昔、私が大変影響を受けた司馬遼太郎の「坂の上の雲」が最近ドラマ化され、楽しませてもらっていますが、そこで登場する正岡子規がはまって行く「俳句」もやはり、「曇りなき眼で見」た日常のワンシーン、自然からの感受を、写真や絵画ではなく5‐7‐5のこどばで切り取って表現しているのだなあ、とあらためて思います。
 
曇りなき、眼で見定める Suchness

なんだか、5‐7‐5をちょっとやってみたくなりました。