ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

明け渡し Surrender

木漏れ日の 浮かぶ水面で 明け渡し

15年ほど前、夏には、よく大学の裏山の小さな渓流に子どもをつれて出かけました。

4mほどの深さの滝つぼの周辺では、泳ぐこともできましたので、滝つぼに飛び込んだり、潜ったりしたものでした。

一番好きなことは、水面にただ仰向けに浮かんで空を見ていることでした。

足をそっと蹴って、仰向けになり、耳が水に浸かり、顔が何とか水面に出ているくらいに浮かびます。

背骨を反るぐらい伸ばします。足は膝から下がどうしても沈みやすいのでビーチサンダルを履いたままにすることもあります。

頭を上げるとむしろ沈んでくるので、頭は水に浸けたまま、むしろ顎を上げるぐらいにします。

お腹が沈まないよう息を吸い込みます。

お腹に息をためておきます。

下腹にためる感じなので腹式呼吸になります。

そうやって微妙なバランスで浮かんでいます。

浮かぶために手足を動かしたりすることはありません。

塩分の多い海水なら簡単ですが、淡水では意外と難しいようで、子どもたちもはじめはできませんでしたが、だんだんとコツを覚えたのかできるようになりました。

ただ浮かんでいると、滝の周辺の緑がきれいです。

耳の穴は水に浸かっているので、なんだか妙に静かです。

耳の穴が水面に出ているときと浸かって塞がっているときのコントラストがいいです。

耳の穴が浸かると「今ここ」の感覚がよみがえります。

緩やかに渦を巻いている水の流れにのって、身体もゆっくりと流され回って行きます。その状態で眺める木漏れ日が眩しいですがきれいです。

なんとなく身体はいい感じになります。緩やかな水の流れにまかせています。

明け渡しの感覚です。