ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

Compassionate Exchangeはトンレンだった!

ILPのスピリット・モジュールで紹介されている5番目の瞑想の名称はCompassionate Exchangeです。単語だけから勝手にイメージし、あまり興味がもてず後回しにしていました。しかし、以下に紹介するように5行、10行と訳が進むにつれて、あれ、これって・・・トンレンだ!!と気づきました。文章の中にはトンレンという言葉は出てきません。しかし紛れもなく2006年7月17日のブログで取り上げた「グレース&グリット」に出てくるトンレンです。それに気づき俄然やる気が出て、一気に最後まで訳しました。Gold Star PracticeとなっているCompassionate Exchangeを、まず紹介し、そのあと少々吟味してみたいと思います。(以下引用拙訳)

Compassionate Exchange 慈悲深い交換

Touching Everything and Letting It All Fall Away
すべてに触れ、それすべてを脱落せしむること

Compassionate Exchangeは、唯一の視点と慢性的に同一化して留まるかわりに、すべての視点を通して自由に動くために、自己超越的そして自己犠牲的なケアと慈悲を活用する方法です。この瞑想的な実践の中で、私たちは意識的にそして意図的に、自己を他者と交換し(exchange self for other)ます。それは、自己を犠牲にして他者に利益を与え、通常のエゴの方向を逆転させることによって、私たちが「他者の」視点を取ること、そしてあたかも他者であるかのように自己を考えることを実践します。
 たいていの生きものは、喜びに向かい、苦痛から逃げる傾向があります。私たちは、本能的に、不快と危害から自分を防御するように動き、自分に必要なものを欲して満たそうとします。Compassionate Exchangeによって、私たちは、この制約のある、生存を基礎とした方向付けの周囲に作られた鎧を溶かすのです。実際私たちは通常の方向付けをひっくり返し、息を苦しみとして吸い込み、それから苦しみの喜ばしい解放として息を吐き出します。私たちは、楽しみを求め、苦しみを避ける無意識な傾向の裏返しの結果として、凄まじいエネルギーと解放感を取り戻します。
 Compassionate Exchangeの中に、それを最もシンプルに留めるために、「私(I)」は気づきの意識の中へと動き、そして「あなた(you)」、「私たち(we)」、「彼ら(them)」を思いやります。そして「私に(me)」―自己に戻ります。それから、その「私(I)」は自己のSelf―すべての視点が生起する目撃者にやすらぎます。

Meditating with Compassionate Exchange 慈悲深い交換とともに瞑想する
Compassionate Exchangeはどんな長さの時間でも実践することができます。わずか2,3分(1分間モジュール)から1時間あるいはもっと長くまで。ここでCompassionate Exchangeの欠くことのできない構成要素とステップを紹介します。
 
1. 呼吸を通じて、注意をハートへと運び、感じます。しばらく、ケアと慈悲の経験を想起しその記憶を思い出します。
2. あなたと親しい誰かをイメージし、この人の嘆きと苦しみをあなたのハートへ取り込んで呼吸します。苦しみからの解放のエッセンスを、その人の方に向けて息を吐きます。
3. 息を吸いながら、ますます多くの人の苦しみと嘆きを取り込み(take in)ます。息を吐くときは1回1回、苦しみからの自由と解放のエッセンスを吐く息にこめ、それをこのグループの人々の成長の方に向けます。
4. 次の一連の呼吸を通じて、あなたのケアがすべての存在を包み込むように広げます。彼らの苦しみと嘆きを取り込みましょう。苦しみからの自由と解放のエッセンスを吐く息にこめ、それをすべての存在の方に向けましょう。この完全な反転、自己の喜びを求め苦痛を避けるという衝動を侵害することは全く困難かもしれません。それはあらゆる種類の抵抗と否定的な面を刺激するでしょう。Compassionate Exchangeの鍵は、これらの反応を受け入れて、解放し、実践のボールを返球し続ける(keep returning to the practice)ことです。
5. それから、すべての生きとし生ける存在の中の一つの存在、あなた自身に焦点を当てます。あなた自身の苦しみと嘆きを取り込み、自由と解放のエッセンスを、それをあなた自身に向けて、息を吐きます。この自由な視点から呼吸し、感じ、そして自然に抱擁し、あなたの活力と人間性が本当であることを認めましょう。
6. Compassionate Exchangeの実践の最後のステップとして・・・あなたとあなたが描いたすべての人々、そしてすべての苦しみと、苦しみからの解放が、これのすべてを目撃している気づきの意識の中に生起しているということ、そしてこれが、本当のあなたなのだということに、気づきましょう。あなたは呼吸を続けながら、この「目撃者(Witness)」はあなたの中だけではなく、他のすべての人にも現前していることに気づくでしょう。彼らの「目撃者」は、まったくあなたである「目撃者」と同じです。唯一の「目撃者」だけがあります。その自然で、開かれた、努力のいらない、「気づきの意識(Awareness)」の広がりの中に落ち着きましょう。(引用ここまで)


いかがでしょうか?以前のトンレンの記事とあわせて読むと理解が深まるでしょう。この文を読んでトンレンを久しぶりに思い出し、頭に浮かんだのは、宮崎駿アニメ「風の谷のナウシカ」の二つのシーンです。

まず1つめは、腐海の瘴気の中を、ロープが切れて次第に高度を下げていく飛行船の年寄りたちを正気に戻すため、自らマスクをはずして語りかけたときのナウシカ。瘴気を吸い込むことを臆せず、笑顔で必ず救うからと語りかける印象的な場面です。

もう一つは、トルメキアの飛行艇が攻撃され捕虜のナウシカの乗った飛行船が墜落せんとした時、ガンシップで脱出を図りますが、救う必要のないはずのクシャナに「来い!」と声を掛けたときです。これは目先どう考えても災いを背負い込むのが自明のことをする訳ですが、いずれも通常では回避したいはずのものを、あえて取り込んで事をなそうという強さが感じられます。もちろんその先には、王蟲の「怒りに我を忘れた暴走」の中に身を呈するとことに結晶するのですが・・・。

スピリット・モジュールは次の節で締めくくられています。(以下引用拙訳)

The Perfect Practice 完全なる実践

瞑想実践の途方もなく大きい領域を有する、あるスピリチュアルな伝統は、すべてのスピリチュアルな実践のうち、まさに最もシンプルで、最も根本的なものを「完全に」記述しています。時としてそのような実践は、何十年もスピリチュアルなワークを行う入門者のために用意されました。その本質において、彼らはすべて同じ実践―それによってこの瞑想の議論は始まったのですが―を記述しています。
 そしてそれは、こんなふうになります:

 必要な実践などありません。あなたはすでに無限の現前するあなた自身の気づきの意識の真如(Suchness)に安らいでいます。そう、ただ安らぐのです。努力を明け渡しなさい。すべてのものが生起する無限の、そして永遠の空間にただ気づきなさい。そこで安らぐのです。何度も安らぎなさい。もしそれが短い瞬間しか続かなくても心配することはありません。ただ、広々とした、いまここにある、空なる、気づきの意識の中で再び安らぐのです。そしてもう一度。つかのまの瞬間たちは、ただ素晴らしく繊細で、美しい(Brief moments are just fine)。努力は必要ありません。気づきの意識に安らぎ続けましょう(あるいはあなたがすでに気づきの中で安らいでいることに気づきましょう)。それがいつの時も恒久の、そして明白なものになるまで。
 何が、恒久の、そして明白なものになるのでしょうか?
(What become permanent and obvious?)
 そんなものは何一つなくそしてすべてのものがそうです。
(Nothing and everything)
 ただこれだけ、が在ります。(Just this)
 それは語ることのできないものです。
(That about which nothing can be spoken)
Is-ness itself.
Spirit
You.
This.
Always.
Already.
Now.
Yes.
(引用ここまで)


Nothing and everythingはいいですね。色としてみた場合、色即是空ですから、permanent and obviousなものなどあるはずもなくNothingです。しかし空はまたpermanent and obviousでありますから、空即是色として顕現したものすべて=everythingはスピリットのmanifestであり、permanent and obviousであるということができるのです。そしてそれは語ることのできないboundlessあるいはno boundaryの無分別知でもあります。シニフィエを通さない直覚Suchness、ゴッホの椅子であり、棟方志功の赤い富士です。常にすでに現前するシンプルな感覚。まさにThe Simple Feeling of Being Embracing Your True Natureなのです。