ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

気づくだけ Brief moments are just fine

いつだって 気づくだけ♪とは、平原綾香の歌うCircle Gameという曲で繰り返されるサビの部分の歌詞ですが、今年の抱負はまさに「気づくだけ」で行こうと決めました。

年末から年始にかけて、あれこれと思いを巡らせては、一念発起したいような衝動が、どうしてもあったのですが、まず決めたのは、「一念発起しない」ということです。一念発起するとどうしても目標なりビジョンなりをもってそのあるべき姿を実現するために「いま」を消費します。その場合の問題は、「いま」よりも将来の「あるべき姿」の方が価値があると無意識に想定していることです。Present momentである「いま」は未来のための材料、土台、準備の時間になり下がります。(私はこのプロセスは健全なオレンジの価値観を確立する上で大変重要なものであり、わが子たちにはむしろ薦める枠組みですが)

前回のブログで取り上げた文章の中に

Brief moments are just fine

 



という句がありました。鮮やかで美しいと感じ「つかのまの瞬間たちは、ただ素晴らしく繊細で、美しい」と訳しました。

もう一つ気に入ったのがILPのp216に書かれてあったこの文章です。

Seen in this way, even the most mundane moments of our daily life become a multidimensional dance of feeling-light.

「こんなふうに見ると、日常のもっともありふれた瞬間でさえ、複数次元の光のダンスとして感じ取れるようになります。」と訳しました。

リアリティはpresent momentの中に奥行き深く、何層にもなって存在しているような気がします。

気づきがもたらす明晰さを持続することが大切です。それはある種の状態ではありますが、そのような状態にも気づいているため状態と同一化しない、非−状態を含んだ意識です。

今年に入ってから、ILPのマネジメントサイクル(Plan→Do→Check→Action)を毎週回し始めています。そのなかで「気づきを入れること」を一つの項目として、取り上げたいと思います。1日に気づく回数を記録してみたいと思います。何度でも気づくために。
これは、私の言葉で言うと「お〜とっと」です。頭が喋り出して止まらないとき、自己収縮を感じるとき、イライラしているとき、欲求が高まっているとき、退屈さを漠然と感じているとき、心配しているとき、怒りが湧き出したとき・・・、「お〜とっと」と気づきます。意識の一番下の底に横たわり心の背景となっているStillnessに耳を澄ませます。時間が止まる感じ。背中に意識を馳せます。身体の回り360度に集中し、リラックスしながらピンと張っています。鏡の境地で、静かな水面に落ちる木の葉が立てる漣のようなどんな気配にも気づきます。

 回数を記録できるでしょうか。それを試みる理由は、「気づきを入れる」のを意識して何度でも行うためです。だんだんと目撃者が定着して行くでしょうか?完全な静寂として(as perfect Stillness)。その奥にある究極のリアリティ(Ultimate Reality)の片鱗を感じてみたいと思います。