NHKで「無縁社会」という特集を何回か見ました。一昔前であれば多くの人が地縁血縁という地域のコミュニティに帰属して「私たち」と言える居場所を得、一方ビジネスマンたちは会社というコミュニティで「私たち」という次元(AQALの左下We)を確保してきました。
無縁社会とは、地縁血縁のつながりを何らかの理由で失った人たち、なおかつ仕事もないか、仕事があってもその職場で「私たち」と呼べる関係を築けていない人たち・・・、すなわち「誰とも」、「どこにも」、「私たち」といえる縁をもてない人が増えていく社会のことであるといえます。
NPOの仕事に係らせてもらっていますが、ネットカフェ難民、ニート、引きこもり、うつ病、独居老人、さまざまなチャレンジド・・・など、弱者支援のNPOが対象にしている層の多くは、ある意味「私たち」という居場所を失った、あるいは失いつつある人々です。
言い換えると、NPOの役割の一つは無縁社会が進行する中にあって地縁血縁、カイシャ縁以外の、縁=コミュニティを再生することであるともいえます。
最近はリーマンショック以降の不景気も手伝って、こうした層の就労促進、雇用開発が大阪でも行政のテーマとなっていますが、このようにさまざまな形で「私たち」を喪失した人には、職業体験やジョブコーチなどの制度設計の前に、その土台としてまず、「私たち」といえる場、そのような他者との関係を復活させる必要があるでしょう。あるいは「私たち」(We)を育めるような制度設計(Its)をする必要があるということでもあります。
ウィルバーのインテグラル理論のAQALでは、I、We、It、Itsの四象限がどこかに極端に偏ることなく発達するべきであることを指摘していますが、健全な「私たち」=We次元、すなわち間主観的空間をもてないことは、健全な「私」=I次元を形成できないことに繋がります。そのことがIt次元(例えば就労に必要な技能習得など)に影響し、Its次元である就労を阻害するのです。アンバーの拠りどころであった地縁血縁は希薄化し、オレンジが頼りにしていた「カイシャ」も終身のものではなくなった今、私たちそれぞれが、どこに「私たち」(We)を見出すのか?
無縁社会は、私たちにそれを問いかけているのだと思います。