ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

Openness

空性(Emptiness)を理解するうえで、目撃者(Witness)や現前(Presence)と並んで、よく出てくるキーワードはOpenness(開け)です。以下にILPの中から、私が「開け」と訳したところを何箇所か抜粋してみました。

P221
あなたとは見者であり、あなたの中の私の背景として存在している、私の中の私の背景として存在している、すべての人の中の私の背景として存在している、まさに「自己(Self)」なのです。あなたは「空(Empty)」であり「自由」です。そしてあなたは常に在るのです。
 あなたは決して動きません。あなたは常にあなたです。あなたは完全なる沈黙、まったき開け、無限の深みです。あなたはすべての誕生に先立ってあり、すべての死を超えていく究極の深淵なのです。


P240
5時間前に現前していたものは何でしょうか?
 I AMness. I AMnessの意味は継続する自己知(self-knowing)、自己認識(self-recognizing)、自己承認(self-validating)としてのI AMnessです。それはいま現前しており、5時間前にも現前していました。あなたのすべての思考は変化します。あなたの体のすべての知覚も変化します。あなたの環境もまた変化します。少なくとも僅かは。しかしI AMはすでに現前する、輝き、開け、空、明白、広がり、透明、自由です。 対象は変わりますが、この無形のI AMnessは不変です。この明らかに現前するI AMnessは5時間前そうであったように、いま現前しています。

P243
遂には、この絶対的(absolute)な実践は深まり、定着すると同時に、相対的な(relative)実践のための背景(context)となるのです。
 こうして統合的な質問(Integral Inquiry)の中で、あなたはILPのすべての道具を使って遊ぶことができます。これらの実践によって、あなたはより理解を深め、究極的には、あなたの本質的な性質である無境界、開け、自由を覆い隠している収縮のパターンを超越することができるでしょう。

P248
静かに座って、背筋をまっすぐ、自然に呼吸します。

今この時(present moment)に安らぎます。すべてのものが生起している真如(Suchness)あるいは開け(openness)の中に注意を解放します。その中でくつろぎましょう。


P105
さあ、物質的な音、景色、感覚、微細な感情、エネルギー、考え、直感をどのように目撃することができ、感じることができるか気づきましょう。しかしあなたはそれらのどれとも同一化しないで。それらを近くに見てそれらはすべてimpermanent永久ではない(無常であること)ことを認識しましょう。真にあなたのいる、すでに現前する意識のなかに生起した、つかの間の対象であることを。それはまさにあなたである空間としての気づきの中で、すべてのことが生起していることを体験してください。静止stillnessにくつろぎましょう、空なるスペースにとどまり、まったき露呈の真如Suchnessとして。あなたは常に現前してきたOneです。変化することなく、動くことなく、波打つことなく。無形の気づき、静止、沈黙のcausal状態を感じましょう。限界もない、境界もない、根本的に自由で充実し、完全で、完璧な。
 深く呼吸し、それを楽しみましょう。そしてさあ、あなたの注意を物質的な次元に戻しましょう。しかし、あなたが日中を過ごす間も、夢見や深い眠りの状態と関連したフローと開けの感覚につながったままで、いるようにしましょう。


P195
すべてのことは、あなた自身の小さな心と身体と感覚と思考を含みながら、あなたという広大な空性の中で生起します。そしてそれらは、それらが生起した真実の特質の中へと自己解放されるのです。厳密には、あなたはもはやそれらのどれとも同一化していないので、あなたが今ある空性と開け(openness)の中で、それらをむしろ遊ばせておきます。それらすべてを(起こるがままに)起こしておきます。あなたはそれから根本的な自由として目覚めるでしょう。輝ける解放の歌を歌い、明白すぎる無限を放ち、歓喜の大海を飲み込みます。あなたは身体の一部としての月を眺め、ハートの一部としての太陽におじぎをします。そしてそれのすべてはまったくそうなのです。永遠にそして常に、永遠にそして常に、これがあるだけなのです。


いかがでしたか?以前に「不安感と心配」という感情を、「明け渡し」と「広々としていること(spaciousness)」に変換できることをシャドウ・モジュールで見ましたが、Opennessとは、そのSpaciousnessから始まる感覚であるともいえます。目撃者に軸足を移すので、エゴをはじめとしてAwarenessの中で生起しているさまざまなものと脱同一化した状態です。

Integral lifeのサイトの私の大好きなAlways Already: The Brilliant Clarity of Ever-Present Awarenessから以下を抜粋して終わりにしたいと思います。

As I drop all objects-I am not this, not that-and I rest in the pure and simple Witness, all objects arise easily in my visual field, all objects arise in the space of the Witness. I am simply an opening or clearing in which all things arise. I notice that all things arise in me, arise in this opening or clearing that I am. The clouds are floating by in this vast opening that I am. The sun is shining in this vast opening that I am. The sky exists in this vast opening that I am; the sky is in me. I can taste the sky, it's closer to me than my own skin. The clouds are on the inside of me; I am seeing them from within. When all things arise in me, I am simply all things. The universe is One Taste, and I am That.