ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラーなど、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

当然…ではなかったとき。実は当然などなかった。

私たちは、いろいろなことを「当然」と思っています。

当然、遅刻しないだろう。

当然、覚えているだろう。

当然、結婚しているはずだ。

当然、もうすぐ出て来るだろう。

当然、もうついている頃だ。

当然、生きて帰ってくるだろう。

などなど。

しかし、当然…ではないことは起こります。それが、1%であれ、0.1%であれ。

当然、と思っているのは起こる高い確率の方を、予期してそう言っているのです。

本当に高い確率であるかどうかは別にして、そのように想定される高い確率の方の

見方、それを、当然のこと、と予想しています。

あたかも100%であるかのように。

そしてほとんどのことは当然その想定通りに、動いていきます。

ですから、そうした見方に疑問を持ちませんし、

そのような当然が積み重なることで、人を信頼したり、

自分を信頼したり、します。

しかし当然ではないことも、起こります。100回のうち1回か、1000回のうち

1回なのかは別として、少ない確率ではありますが、むしろ確実に起こるのです。

ほとんどの場合、自分に起こりません。

たいていの場合、そんなことは起こらないのです。

でもそれは、ほとんどの場合、とか、たいていの場合、でしかないのです。

「ほとんどの場合」ではないとき、「たいていの場合」では、ないとき、

それは起こるべくして起こります。

年末ジャンボ宝くじは、1000万枚に1枚の確率だそうですが、たいていの場合、

ほとんど当たりません。当たらないのが当然です。

しかし、1枚は、必ず、確実に「当たる」(当たってしまう)のです。

これは多くの人が勘違いしていることではないでしょうか。

99%を100%と勘違いしているのです。100%と勘違いして当然…と考えています。

99%は100%に限りなく近いですが、明らかに100%とは違います。

しかし限りなく近いので100%と思って過ごしていますし、それでほとんどの場合、

問題はないのです。

問題は、少ない確率のことが起こったときです。

しかし確率が小さいだけで、いつか分かりません、どこか分かりません、誰にかも

分かりませんが、確実に起こります。

しかしそうは思っていないので、そんなことが起こるとは思っていないので、

起こったときに「なぜだ?」と原因を考えます。

そしてその結果に対応した原因が見つかる場合も、あります。見つからない場合も

あります。

しかし、原因がなんであろうと、実は関係ありません。

原因は確率の大きさを左右し、うまく行かなかった原因を改善すれば、うまく行く

確率を上げることはできますが、結果は100%にはならないのです。

(限りなく100%に近づけることはできますが)

はっきりしていることは、「当然」というように予期していた通りにならないことが

必ずあるという真実です。

なぜ、そのようなことが起こったか?

それはいつかどこかで(あなたじゃなくても)誰かに起こらざるを得ないものだった

からです。

原因ではない理由はこれです。

自分を必要以上に責めてはいけません。

実は当然などなかったのですから。