私たちは、いろいろなことを「当然」と思っています。
当然、遅刻しないだろう。
当然、覚えているだろう。
当然、結婚しているはずだ。
当然、もうすぐ出て来るだろう。
当然、もうついている頃だ。
当然、生きて帰ってくるだろう。
などなど。
しかし、当然…ではないことは起こります。それが、1%であれ、0.1%であれ。
当然、と思っているのは起こる高い確率の方を、予期してそう言っているのです。
本当に高い確率であるかどうかは別にして、そのように想定される高い確率の方の
見方、それを、当然のこと、と予想しています。
あたかも100%であるかのように。
そしてほとんどのことは当然その想定通りに、動いていきます。
ですから、そうした見方に疑問を持ちませんし、
そのような当然が積み重なることで、人を信頼したり、
自分を信頼したり、します。
しかし当然ではないことも、起こります。100回のうち1回か、1000回のうち
1回なのかは別として、少ない確率ではありますが、むしろ確実に起こるのです。
ほとんどの場合、自分に起こりません。
たいていの場合、そんなことは起こらないのです。
でもそれは、ほとんどの場合、とか、たいていの場合、でしかないのです。
「ほとんどの場合」ではないとき、「たいていの場合」では、ないとき、
それは起こるべくして起こります。
年末ジャンボ宝くじは、1000万枚に1枚の確率だそうですが、たいていの場合、
ほとんど当たりません。当たらないのが当然です。
しかし、1枚は、必ず、確実に「当たる」(当たってしまう)のです。
これは多くの人が勘違いしていることではないでしょうか。
99%を100%と勘違いしているのです。100%と勘違いして当然…と考えています。
99%は100%に限りなく近いですが、明らかに100%とは違います。
しかし限りなく近いので100%と思って過ごしていますし、それでほとんどの場合、
問題はないのです。
問題は、少ない確率のことが起こったときです。
しかし確率が小さいだけで、いつか分かりません、どこか分かりません、誰にかも
分かりませんが、確実に起こります。
しかしそうは思っていないので、そんなことが起こるとは思っていないので、
起こったときに「なぜだ?」と原因を考えます。
そしてその結果に対応した原因が見つかる場合も、あります。見つからない場合も
あります。
しかし、原因がなんであろうと、実は関係ありません。
原因は確率の大きさを左右し、うまく行かなかった原因を改善すれば、うまく行く
確率を上げることはできますが、結果は100%にはならないのです。
(限りなく100%に近づけることはできますが)
はっきりしていることは、「当然」というように予期していた通りにならないことが
必ずあるという真実です。
なぜ、そのようなことが起こったか?
それはいつかどこかで(あなたじゃなくても)誰かに起こらざるを得ないものだった
からです。
原因ではない理由はこれです。
自分を必要以上に責めてはいけません。
実は当然などなかったのですから。