先日、2日連続でインテグラル理論の集まりに参加しました。私にとって出会って間もない人たちとインテグラル理論について話し合うことは初めての経験でした。
しかし、とても刺激的だったのです。時間があればまだまだ内容は深まって行きそうでした。ひとりの話、一つのテーマでもどんどん深められる…、一体これは何が起こっているのだろう?
気づいたのは、インテグラル理論というものはそれを学んできた人たちにとって「共通言語」なんだということです。
たとえば、慣習的な価値観を示すのには「アンバー」と言えばそれで伝わります。合理的な精神は「オレンジ」と表現すればいいですし、多様性を尊重する志向は「グリーン」という世界観でポンと口に出すだけで、十分その場の人たちに伝わるのです。
「私のいるNPOの世界はグリーン/レッド複合体のような偽善が多いので…」という話し方をしても勉強している人にはそのコンセプトをすぐに理解してもらえるのです。
これはすごいことです。
AQALなどは基本的な地図として頭に入っていますので、「いま言っているのはむしろ右下に入るのではないでしょうか」とかいうだけで皆が頷きます。あるいは「そうすると左下がスッポリ抜けていることに気づいたのです」などといった話し方が通じるのです。
すなわち起こっている問題の特質を容易にメンバー間で共有化でき、その事象に対する洞察を効率よく深めてくれるのです。
これはなにもインテグラル理論に限ったことではありません。たとえば企業コンサルタント同士では、経営戦略で事業領域といえばすぐ商品市場マトリックスの四象限で話が始まります。「戦略は理念に従い組織は戦略に従う」ので組織の問題を検討することになった時などは「まず戦略を先に明確にしないとだめじゃないのかな」というような表現が共通言語を理解している者同士の間で交わされるのです。
現在、仕事上の組織では一部のメンバー間である程度のインテグラル言語(=インテグラル理論で使われる専門用語を私たちはこう呼んでいます)を共有しています。
しかし、それだけでも大変効率よく洞察を深めることができます。「以前実施した喪失家族アンケートで、子どもを亡くしてから現在までのストレスについて尋ねた質問、覚えているかな?たしか『納骨のやり方』という回答が3位に入っていたよね」というような投げ掛けに対して、「インテグラル・スピリチュアリティの『ベルトコンベアとしての宗教』の章に書かれている『オレンジの圧力鍋のふた』がまさにその原因じゃないかな」といった会話が成り立つのです。
スピリチュアル知性と「レベルとラインの混同」 - ウィルバー哲学に思う
インテグラル言語を共有できる人を増やすこと、これも一つの目標にしたいと思います。