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ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、そして近年ブームのアドラーまで、脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

性格とは心の鎧、とらわれず乗りこなす

インテグラル理論 マインドフルネス とらわれ 今ここ インナーボディ 脱同一化 空(くう)

京都でのケンウィルバー勉強会の5回目に「タイプ」の学習としてエニアグラムが取り上げられる予定になっていることから、「エニアグラム―あなたを知る9つのタイプ」(ドン・リチャード・リソ&ラス・ハドソン著 角川書店)を読みました。

これがなかなかに面白く、「性格」とは何かという理解を深めてくれましたので、少し紹介させていただきたいと思います。

まず、エニアグラムの狙いは「気づくこと(awareness)により、性格の自動的反応を止めること」であるとされています。「性格からくる自動的反応を見ることができればできるほど、私たちはそれと同一化することが減り、より自由になる」と書かれています。

性格とは、もって生まれた気質を借りて、子ども時代に遭遇した難事を切り抜けていくために無意識に身に付けたStrategies(対応方法)や自己イメージが構造化したものであるといいます。

この辺から「自動的反応」という表現に興味がわいてきました。意識的であることの対極にあり、習慣的であることと同じだからです。

以下、第3章の「本質と性格」からの抜粋です。(→は私のコメントです)

この性格の防衛とStrategiesがより構造化するにつれ、私たちは自らの本質(Divine Essence)との直接的つながりを失ってしまいます。アイデンティティをもたらす源泉が、自らの存在(Being)とのつながりではなく、性格になってしまうのです。


→causalボディを意識しておかなくてはならないのに性格が意識の前景を占めてしまうということでしょう。

このように本質とのつながりを失うことが深い不安を引き起こし、九つの『とらわれ(Passions)』のどれかとなって現れます」「こうしたとらわれは、いったん生じると性格構造を作動させ始めます。



→本質とのつながりを失うことによる不安→「とらわれ」→性格の構造化というプロセスです。

自分自身の内面に取り組みはじめるにつれ、自分の性格構造ゆえの関心事や特徴によって今、ここの瞬間から注意が逸れることが見えるようになります」「性格は悪いものではないのです。それは成長の重要な一部であり、私たちの本質が磨かれていく上で必要です。問題になるのは、自分の性格に拘束され次の段階にどう進んでいいか分からなくなることです。


→いつも取りがちな思考、頭の中のおしゃべりに気づくこと。Keep some within で今ここに気づいていること。

したがってtransformationをもっとも可能にするエニアグラムの教えのひとつは『自分は性格そのものではない』と気づくことです。」「性格との同一化をやめそれを防衛することをやめれば、奇跡が起きます」「本質が自然にあらわれ、私たちをtransformationさせるのです


→私は欲求ではない、私は感情ではない、私は思考ではない、私は性格ではない、です。

エニアグラムは性格をなくそうとするためにあるのではありません。…実際は全く逆で、自らの本質につながるとき、性格は失われることなく、透明感を増し、柔軟になるのです。私たちの人生を支配するのではなく、助けるものになります。FlowやPeak performanceを感じる瞬間というのは、私たちがまさに今ここに存在し、目覚めているとき―本質(Essence)の資質―なのです。



→性格が透明感を増す、とは素敵な表現ですね。本質がUniquenessと相乗効果をもたらすようなイメージでしょうか。

性格に駆り立てられるのではなく、性格を乗り物として使うような、知性や、感受性、「存在」があります。


→性格は乗り物、乗りこなすべきものです。

性格のメカニズムはそれぞれのタイプの「Basic Fear(根源的恐れ)」によって作動します。

それぞれのタイプは、独自のBasic Fearをもっています。(それぞれのBasic Fearは死や消滅という普遍的な恐れに対する反応です。つまり私たちが無に対してもつ恐れなのです)
私たちは自分の中に、九つのタイプすべてのBasic Fearを見出すことができますが、自分自身のタイプのBasic Fearが他よりもはるかに行動の動機となりやすいのです。


→おおもとに無に対する恐れがあってそれが9つのタイプに分かれるということです。ちなみにタイプ8(私)のBasic Fearは「他者に傷つけられ、コントロールされることを恐れる」です。

このBasic Fearを補うために「根源的欲求」が生まれます。Basic Fearから身を守る方法です。自分を問題のない状態にしてくれると思いこんでいるものであり、「自我のシナリオ(ego agenda)」と言ってもいいかもしれません。

根源的欲求は、人間として当然のニーズを表しています。けれどもそれぞれのタイプは、その根源的欲求をあまりにも理想化し、追い求めるために、他の正当なニーズが犠牲になりはじめるのです。…結局は自己敗北に至る道をたどらせる間違った方法で、その欲求を満たそうとするときに問題になるのです。



→タイプ8の「根源的欲求とその屈折」は「自分自身を守りたい(たえざる闘いに陥る)」です。

根源的欲求はまた、無意識に私たちの本質を阻害します。なぜなら性格というものは、根源的欲求が得られたと信じるまでは、コントロールを手放さないからです。

性格はギプスのようなもので、骨折した腕や足を守ります。元の傷がひどければひどいほど、ギプスは大きなものでなければなりません。けれどもそれを外さないと、手脚を使うことが非常に制限され、それ以上成長することができなくなります。

一時的なギプスとしてみた場合、性格はきわめて役に立つ、とても大切なものです。

→私は性格を「心の鎧」のようなものとしてイメージしました。

但し性格の大部分は、条件づけられた反応や恐れ、信念の寄せ集めにすぎず、真のSelfではありません。したがって、性格との同一化は、深い自己放棄に終わります。私たちのアイデンティティは本質を離れ、発達させざるを得なかった防衛の殻にシフトしてしまいました。



→性格との同一化は深い自己放棄に終わるというパラドックスを理解することが大切だということでしょう。

これまであまり性格とはそもそも何であるかというようなことは考えたことがなかったのですが、子供時代に無意識に身につけた心の鎧のようなものだということです。

そしてそれは、はさみ(道具)や、火、科学技術、お金、市場、そして言葉と同じようにそれは「とらわれる」ものではなく使いこなすべきものです。

それは根底に恐れを抱くある種の乗り物であって、振り回されるのでなく乗りこなすべきものなのです。…透明にして。

照見五蘊皆空!

性格とは心の鎧、とらわれず、乗りこなせ!

まずは性格というものを、このように看破しておきたいと思います。