ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

ポスト・トラウマティック・グロース Posttraumatic Growth

先週末の大会を終えて最も印象に残った言葉は「ポスト・トラウマティック・グロース」です。英語ではPosttraumatic Growthです。心的外傷後ストレス障害PTSDと略しますが、こちらはPTGと略して表記します。PTGとは、人生における大きな危機的体験や非常につらく大変な出来事を経験するなかで、いろいろ心の闘い・もがきなどをふまえ、むしろ、そのつらい出来事からよい方向、成長を遂げるような方向に変化するといったことを意味します。
https://sites.google.com/a/oakland.edu/taku/Home/research

大会2日目に日本医科大学小児科の前田美穂先生から「そういった大変つらかった経験が成長のいい方向につながったというデータも最近結構出てきています」として小児がん経験者のPTGについての話が5分ほどありました。

厚生労働省の研究班で実施したアンケート調査によると、小児がん経験者のPTGといえるものとして

「自分の命の大切さを痛感した」
「人間がいかにすばらしいものであるかを学んだ」
「他者に対してより思いやりの心が強くなった」

という回答が見られたようです。また、

「トラブルの際に人を頼りにできる」
「人との関係に更なる努力をするようになった」
「物事の結末を、よりうまく受け入れられる」
「一日、一日を、より大切にできるようになった」
「新たな関心事をもつようになった」
「自分の人生に新たな道筋を築いた」
「自分の人生でより良いことができるようになった」
「その体験なしではありえなかった、新たなことができるようになった」
「変化することが必要な事項を、自ら変えていけるようになった」

というような小児がんの経験によるプラスの変化も報告されました。

興味深く聞いていました。というのも私の方でも昨年度の小児がんサバイバーヒアリング調査の一環として「病気によるマイナス面が多いかとは思いますが、闘病経験がむしろ自分にプラスになったようなことはないでしょうか?」といって高校生、大学生を中心としたサバイバーたちとディスカッションをしたことがあったからです。

以下にその時に出たいくつかの言葉をそのまま抜粋してみると

立場の弱い子を助けてあげる(ようになった)というのはあるかもしれない。ひょっとして入院していなかったら、一部の弱いものにたかる(弱い者いじめする)しょうもない人間になっていたかもしれない。〈大2 男子〉

過去のあやまちに気づいたというか、あの時オレはおかしかったな、オレが悪かったな、とかそういうの、だいぶ思うように、なっていますね。(相手の気持ちが分からず自己中心的であったことを反省)〈高3 男子〉

中学校のときクラスが荒れていて、自分とか周りのことを大切にしない子が多くて、病気していなかったら自分も同じようになっていたかもしれないけれど、病気をしたので自分も大切にしないといけないし、周りの人も大切にしないといけないということを学べたと思うし、メンタル面では粘り強くなったり、成長したなって思える時もあったりして、それで良かったかなって。〈高2 女子〉


また最近、テレビ会議システムを利用した小児がん経験者のコミュニティである「ネットでeクラス」の中で、「病気になってから今までで何が変わりましたか?」について問いかけたところ、「将来や人生に対する考え方」が変わったと4人の子どもたちが話してくれました。

中学1の女子(小4で発病)
人の痛みが分かるようになった。(以前は)おじいちゃんに何か言われるとうるさいなあとか言ってたけど、いまは大丈夫?とか声をかけられるようになった。

高校2の女子(小3で発病) 
(病気に)なった時が小学生なので深く考えてなかったかもしれないけれど、病気になってからは人の役に立ちたいというのをすごい思うようになって・・・。
(Q.それはすごいつらい目にあって、いろんな人のお世話になったからそう思うようになったのかな?)そうです。5,6年生くらいになった時にはそう思うようになってた。
(Q.6年生までバンダナしてたよね、だからむしろいじめられないかとか心配だったのかと思ったけど)
結構周りの友達とかも助けてくれたりしてたから。恵まれた環境にはいたと思う。

高校3の男子(中3で発病) 
中3までは人の点数を気にしたというのが一番あったんですが、そんなことしてたら立ち直られへんということで、人と比べないことが大事やと(気づいた)いうのがありました。
その辺のときの落ち込み、ショックから(Q.将来心理カウンセラーになりたいと思うようになったのでしたね。)立ち直った時に人の役に立てる、同じような思いの人に伝えられたらみたいな(思いからです)
(Q.精神的に強くなったということがありますか?)
僕の場合なんですけれど、病気をして、落ち込んで、救いを求めたときに仏教の話にちょっとはまったんですよ。お釈迦さんの言っていることといまの自分の状況が結構あうというか、でもこれは宗教なんで・・でもそういうのがあって乗り越えてこれた。

大学1の男子(0歳で発病) 
生まれてすぐに背骨のところに腫瘍があって、だからずっとこんな体なんですけれど
病気じゃなかったら、全くというわけではないけど、そういう人の痛みが分かららなかったと思うし、高校一年のときに背骨の手術したんですけど、その時に、いろんな病気を抱えた人の姿なんかを見たりして、将来的には難病と言われる人の病気を治せるような技術みたいなのを開発したいなあとかいうことを考えています。
(Q.いつ頃からそう思うようになった?)
人の役に立ちたいとか思うようになったのは小学校の1年ぐらいの時です。


この時の「ネットでeクラス」にはNHKのカメラも入っていたのですが、テープ起こししながら録画した映像を見ていてあらためて思うのは、この4人のコメントはどれもPTGを表現しているということです。

長崎ウエスレヤン大学の開浩一氏の論文「Posttraumatic Growth(外傷後成長)を促すものは何か」には、「気づき」「ソーシャルサポート」「アクション」に3つがPTGにつなぐ重要なものとしてあげられています。http://ci.nii.ac.jp/naid/110004868553

まず人生における危機的な出来事を「イベント」といいます。そしてそのあとに必ず「苦悩:distress」の段階があります。そしてこの苦悩からPTGに至るプロセスに3つのパターンが見られるといいます。

①イベント→苦悩→実感→気づき→変わる決意→PTG

苦悩している時は、大切なことへの気づきを促し、この気づきがイベントとPTGをつなぐ重要な役目を果たすのではないかという仮説を開氏は提示しています。上記の高3男子の「人と比べないことが大切だ」という気づきは、まさにこのプロセスに近いものではないでしょうか。大切なことに気づいたから、変わろうと決意し、プラスに変わるというプロセスです。

イベント→苦悩→サポート→感謝/恩返し→他者への思いやり→新たな可能性
二つ目の開氏の仮説は「ソーシャルサポートがPTGを導く」というものです。「周囲の人の並列的な寄り添いや共感が支えとなりPTGに導かれる」と彼は述べています。「周りの友達も助けてくれたから」という環境に感謝し、「周りの人を大切にしないといけない」という思いが強くなった高2の女子。また彼女と同じように「人の役に立ちたい」と話した大学1年の男子は難病に役立つ技術の開発という「新たな可能性」に言及しました。そして彼と同様に人の痛みが分かるようになったと話した中1の女子も「他者への思いやり」が芽生えたことに触れています。

イベント→苦悩→アクション→成功→自信→自己の強さ

また、開氏は「行動に移した結果、成功すると、それが自信となり自己の強さに変わる様子が伺えた」ことから「アクション」も重視していますが、これは昨年に行ったサバイバーヒアリング調査に応えてくれた社会人男性の言葉の意味していたことと同じです。「いろいろ動いて情報を得ようとしないと道は開けない。できる範囲で動いて道を探そうとアクションすることが必要。動かないと事態は変わりようがないので。人に会うなり、本を読むなり、テレビを見るなり、何でもいいんですけれど。」そして彼は後輩の子どもたちへ

Although you may not notice、you become stronger day by day in the battle with your disease.
気付かないかもしれないが、あなたは病気と闘う中で日々強くなっている。

という言葉からはじまる激励のメッセージを残してくれました。


すでに上記の例の中にもいくつか見ることができましたが、PTGは「他者との関係(Relating to Others)」「新たな可能性(New Possibilities)」「人間としての強さ(Personal Strength)」「精神的変容(Spiritual Change)」「人生に対する感謝(Appreciation of Life)」という5つの領域に分類されるようです。高3男子の「お釈迦さんの言っていることと…」のような気づきは「精神的変容(Spiritual Change)」に該当するものなのかもしれません。
これらの分類についてはまた回を改めて取り上げたいと思います。