ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

フロー状態とAttention

前回のブログで自己同一性の発達ラインの最も高い段階としてAbsorptive-witnessing があることをみました。Witnessについては今まで何度も取り上げてきましたが、Absorptiveについて理解を深めようとあれこれ見ていくうちに「フロー(flow)」に行きつきました。

フローとはわたし的に言うと、心と体が一体となり、なおかつその心と体の統合体がさらに外部と調和して流れるような無理のない動きの中で創造的に物事が達成されていく、そんな理想的な状態であるといえます。ストレスもプレッシャーもなく、これがいい、これでいいと終わってほしくないような感触。最初は戸惑いもありながら次第に予感、そう、いい意味での予感、あるいは仮説のようなものが先へ先へと進行し、その予感が当たっているという確信のもてる期待が次第に膨らんでいくようなプロセス。そんな感覚をともなったものです。

そんな捉え方をしているフローですが、理論的に整理されたものとしてどんなものがあるのでしょうか?段階としてのAbsorptive-witnessingを考察することは次に機会に譲るとして、今回はまず、状態としての「フロー」の理論、そして鍵となるAttentionについて取り上げてみたいと思います。

チクセントミハイ著「フロー体験入門―楽しみと創造の心理学(Finding Flow―The Psychology of Engagement with Everyday Life)」にフロー状態のことがこう書かれています。

つまり目標が明確で、迅速なフィードバックがあり、そしてスキル(技能)とチャレンジのバランスが取れたぎりぎりのところで活動している時、われわれの意識は変わりはじめる。そこでは、集中が焦点を結び、散漫さは消滅し、時の経過と自我の感覚を失う。その代わり、われわれは行動をコントロールできているという感覚を得、世界に全面的に一体化していると感じる。われわれは、この体験の特別な状態を「フロー」と呼ぶことにした。なぜなら、多くの人々がこの状態を、よどみなく自然に流れる水に例えて描写するからである。



すなわち
①明確な目標とフィードバック
②機会と能力のマッチング
の二つがフロー状態に入るうえでの条件として大切だということです。

そして「心理的エントロピー」「ネゲントロピー」という言葉を使って、注意力との関係をこう説明しています。

感情は意識の内面の状態に関係する。悲しみや恐れ、不安、退屈といったネガティブな感情は、精神に「心理的エントロピー」を生み出す。心理的エントロピーは、精神の主観的秩序を立て直すのに注意力が必要となり、そのため、外部の仕事を処理するのに注意力を効果的に用いることができない状態である。…ポジティブな感情は「心理的ネゲントロピー」の状態である。この状態では、思いめぐらせたり他人にすまないと感じたりするための注意力が必要なく、心理的エネルギーは、自分が決めたどんな考えや仕事にも自由に流れ込むことができる。


すなわち、日本人的な言葉でいうと「否定的な感情は雑念を引き起こし、それに気を取られてしまう。無念無想の状態に入ることができれば、注意力を必要なことに向けることができ、思考や活動が自由な流れとなる。」ということでしょう。

そしてこのチクセントミハイ教授の素晴らしいところは、縦軸にチャレンジの高低、横軸にスキルの高低をとって、フローが高チャレンジ、高スキルの場合に起こりやすいことを洞察したことだと思われます。(この本のp43にあるチャレンジとスキルの相関関係の作用としての体験の質を表した図。同じ図がウェブ上にあったのでリンクさせていただきます)
http://ameblo.jp/quotations/image-10229066795-10155877061.html

この図を示して、このように説明されています。

フローは、スキルがちょうど処理できる程度のチャレンジを克服することに没頭している時に起こる傾向がある。最適な体験は、ふつう、行動能力〔スキル〕と行動のために利用できる機会〔チャレンジ〕とのすばらしいバランスを必要とする。もしチャレンジが高すぎて失望すると、心配し、徐々に不安に移行する。もしチャレンジがスキルに比べて低すぎてくつろぐと、退屈してしまう。もしチャレンジもスキルも低いと分かったら、人は無気力になるだろう。しかしチャレンジとスキルが高いところで一致したら、ふつうの生活から離れたフローを提示してくれる、深い没頭が起こるだろう。


いかがでしょうか?私はやや異議のある点も感じますが、チャレンジとスキルがちょうどよいバランスの時にフローが起こりやすい、というのは卓越した見解だと思いました。

そして問題は注意の払い方です。注意力をどのように用いるかということで関連した記述を拾ってみました。

P148
ほとんどの人はふつう、何かが起こった時、認識するには気が散りすぎている。微細な変化が偉大な発見という結果になりうるので、非常に小さな調整が、人が恐れる月並みな仕事を、毎朝期待して楽しみにする専門的な活動に変えうる。

P159(子育てにおけるフロー)
ある母親がフローに達した時について述べている。
…読書は娘がほんとうに没頭することで、私たちは一緒に読みます。娘は私に読んでくれて、私は娘に読んであげます。それはちょっと世界のほかの部分との接触を失う時間です。私はしていることに完全に集中しています。
このような子育ての素朴な喜びを体験するために、子どもが何を「誇りに思って」、何に「没頭」するのかを知ることに注意を払わねばならない。

P160(対人関係、コミュニケーションについて)
対人関係の衝突の根源は、過剰な自己への関心と、他人の要求に注意を払えないことである場合が多い。ほかの人の達成を手伝うことによって自分たち自身の関心を一番よく満たすことができる…

P162
よい会話を始めるための秘訣はほんとうに簡単である。第一のステップは、ほかの人の目標が何であるかを見つけることである。そのとき相手が何に興味をもっているか。…次のステップは相手が取り上げた話題に関して、自分自身の体験か、専門知識を利用することである。会話を乗っ取らないよう、一緒に発展させながら。よい会話はジャズの即興演奏のようで…。

P176
創造的な個人は、創造的な上にさらに一般的に自己目的的(Autotelicという言葉はAuto「自己」telos「目的」という二つのギリシャ語からなる合成語。外から与えられた目的を達成するためではなく、それ自体のためにものごとを行うという意味。たとえばお金のためにではなくそのこと自体が楽しいから)である。そして明らかに取るに足らない対象に、そのあふれる心理的エネルギーを注ぎ込んで、ブレイクスルーをもたらすことがある。

P181
人生の質を改善することは、…その最初のステップは、する必要のあることは何であれ、だらだらとするのではなく、注意の集中とスキルをもって行う習慣をつけることである。皿洗い、身支度、芝刈りといった最も日常的な仕事でさえ、芸術作品を創るかのような注意を払って取り組めば、やりがいのあるものとなる。

P185
通常、人の注意は、遺伝的教示、社会的慣例、子どもの時に学ぶ慣習によって方向づけされている。したがって何に注意を向けるべきか、どの情報が意識に上るかを決定するのは、われわれではない。われわれが体験するほとんどのことは、あらかじめプログラムされているのである。…年を経るにつれ、われわれの体験は生物学や文化によって記された脚本に従うようになるだろう。自分の人生のオーナーシップを取り戻す唯一の方法は、自分の意図と一致するように心理的エネルギーを導く技を学ぶことである。



どうでしょうか。皿洗いという日常的な仕事に対する注意の注ぎ方では「ネガティブな瞬間にこそ実践を選択する能力」で取り上げたケン・ウィルバーの若き頃がイメージされます。慣習によって方向づけされた無意識な機械的反応に気づいてフォーカスを変えることは前々回のブログ「行為のさなかに在る自分に気づく」ことに通じるものがあります。

う〜ん、注意力…英語ではAttention…と考えていて、シナプスがつながりました。「Integral Lifeのための5つのスキル」の中にたしかAttentionがあったはずです。Presence、Awareness、Perspective、Attention、Discernmentの4番目にありました。早速訳してみました。

Skill 4:Attention 注意力
「信頼できる意思決定、成果の達成、エネルギーの集中そしてその集中を持続することの基礎」
Attentionは、行動する能力というだけでなく、人生のその瞬間に必要とされるものに十分に関心を向ける能力のことを意味します。これは意思の明晰性と責任、エネルギーの集中をもって行動する能力です。Attentionは信頼できる人間関係に重要なスキルであるとともに、意識の「フロー」状態に通ずる扉(a gateway to “flow” states)にもなり得るものです。Attentionはすべての知性のラインにとって重要なだけでなく、道徳知性にとってまさに重要です(すなわち、「この状況で私は何をすべきか?」)。
 Attentionは、すべての職業やスキルに役立ちますが、特に創造的な仕事やリスクの高いこと、高いスキル、そしてあるいは高度の集中力を要する仕事や役割に貢献します。(拙訳ここまで)


そしてILPのボディ・モジュールのひとつであるFITはこの第4のスキルAttentionを磨く方法のひとつであると書かれています。
 
Attentionとはプレゼンで使うポインター、あるいはパソコンのカーソルの矢印のようなものではないでしょうか。注意をそこに運ぶ、そこに意識を集中する。そことは目的、目標に対して対応が必要とされるところです。球技であれば、ボールそのものであったり、打ち込む先の相手コートの空いているスペースだったり、あるいはその瞬間のグリップの指先であったり、回転する肩と腰をつないだラインであったりするかもしれません。

幼児教育のひとつにドッツカードや動物のイラストを一定の速いリズムで次々と見せて答えさせるやり方がありますが、あれなどもAttentionを上手に誘導することでフローに入るひとつの方法なのではないでしょうか。そういえば幼児教育に携わっていた人から聞いたことがありますが、本の読み聞かせに精通した教諭は本当にうまく物語の中へと聞き手の幼児を没入させることがでるといいます。これもAttentionを運ぶスキルの習熟に裏付けられたフローの扉の開き方であるといえます。

フローが持続する状態にあって、次々と対象にある矢印は点いては消え、点いては消えしながら、課題をクリアーしていくような(頭の中で、あるいは柳生新陰流の斬り合いのような体の動きとして)イメージですが、その時に、よりフローを高い次元で持続させるために、エックハルト・トーレの言葉でいうならインナー・ボディにもいくらかのAttentionをもっていった方がよいのではないかと思います。

対象と一体になって流れている間はいいかもしれませんが、そこに結果を予期した執着や収縮がともなって流れが滞る、あるいは動作や思考がぎこちなくなってきたら、その収縮を観察します。Subtleエネルギーを感じ、その背景にくつろぎます。呼吸を意識します。特に吐く息を意識します。吐く息と連動してharaの凹みを確認します。次に吸うときは胸を開きます。心臓を差し出すような感じで。警戒感(エニアグラムのタイプ8に顕著な自己防衛本能)を手放します。後頭部を通って頭頂部にかけて息を吐きます。額が軽い圧迫感から次には開いたような感覚があります。開いたままにしておきます。

このくつろぎとフォーカスを交互に繰り返します。フォーカスが加熱したり執着に変わったりしそうなら、一息入れてsubtleにくつろぎます。くつろぎが一段落すれば、またattention を必要な場所にフォーカスして前へ前へとリズムをとりながら進んでいきます。

FITでもFocusの後にはRecoverあるいはSurrenderのプロセスを入れ、緩急のサイクルとして実践するというのは納得がいきます。

前回のブログでAbsorptive-witnessing とは「没入的ー目撃」と訳しましたが、witnessが進行形なので「目撃しつつ、没入的であること」あるいは「目撃したままの状態で、没入すること」ということかもしれません。そのような状態に、いつでもどこでも何度でも、自在に出入りできる段階がAbsorptive-witnessingなのではないかと思いました。次の機会に段階としてのAbsorptive-witnessingをa guide to integral psychotherapyの中の解説からもう少し詳しく見てみたいと思います