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ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、そして近年ブームのアドラーまで、脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

Milton's Secretと「二本の矢」

エックハルト・トールが子ども向けに書いたMilton’s Secretという絵本があります。ベストセラーThe Power of Nowのエッセンスがたいへん分かりやすく書かれているので、子ども向けにもお勧めなのですが、そこで主人公のMiltonが気づくことと、小児がんのサバイバーのひとりが教えてくれた仏教の言葉の「二本の矢」の話に共通したものがあるので、そのことについて書こうと思います。

高3のサバイバーである彼は、いくつかの仏教の言葉によって救われたといいます。そのひとつの言葉が「二本の矢」です。阿含経典」増谷訳3巻「箭(矢)によりて」にこうあります。(以下引用)

わたしの教えを聞かない凡夫も、またわたしの教えを聞いた聖なる弟子も、楽しい受を感じ、苦しい受を感じ、また苦しくも楽しくもない受をも感じる。

凡夫は苦なる受に触れられると、泣き、悲しみ、声をあげて叫び、胸を打ち、心は狂乱するにいたる。けだし、彼は二重の受を感ずるのである。

それはたとえば、第一の箭(矢)をもって人を射て、また第二の箭(矢)をもってその人を射るようなものである。
(引用ここまで)


その意味はサバイバーの彼が送ってくれた資料によると次のように解説されています。

二本の矢
一般の人も、行を修めた人も感受性はあります。この感受性とは例えば誰かに足を踏まれたときにどんな人も痛いと感じます。そのように何かあった時にまず一番目に考える事が一本目の矢です。その後、普通は怒りや、恐れまた悲しみを感じたりします。これが二本目の矢です。行を修めた人はこの二本目の矢を受けることがないのです。この話から、傷ついてつらいのは当たり前として受け入れることが大切です。誰しも辛いことは辛いです。ただ、二本目の矢を受けずに済むように歩むことが大切です。


絵本Milton’s Secretの主人公、小学生(高学年ぐらい)のMiltonはある日、体の大きいCarterにいきなり学校で殴られます。理由はよく分かりません。その晩、彼は、今度Carterにまた出会ったら彼は自分にどうするだろう。彼はなぜ自分に目を付けたのか?

ベッドに入っても考えれば考えるほど怖くなってきます。明日はどうなるのだろう?

 翌朝、起きたMiltonは可愛がっているペットの猫Snugglesがケガをしているのに気づきます。向かい側の家の犬、ドーベルマンBrutusのやられたのです。MiltonはSnugglesの血をきれいに拭いてやります。本当にかわいそうにSnuggles…。

ほどなくSnugglesはソファーに寝ころんでいるMiltonのからだの上に乗ってきて、じゃれつき、穏やかにゴロゴロとのどを鳴らします。ほんとに満足そうに。


Miltonは不思議に思い、おじいちゃんに尋ねます。「どうしてSnugglesはあんなことの後なのに、こんなに幸せそうにしていられるの?」
おじいさんは答えます。(ここから英語でそのままの言葉を引用します。)

“Milton, cats are not like human. Snuggles can easily let go of what happened yesterday, and he doesn’t worry about tomorrow. He lives in the Now. That’s why he’s happy even though not long ago Brutus was attacking him. Most people don’t live in the Now because they think of yesterday or tomorrow most of the time. And a lot of the time they are unhappy.”


このように、おじいちゃんから教えを受けたMiltonは、The Power of Nowを体得していきます。そして最後の場面、学校の誰もいないトイレでMiltonは、あのCarterとはちあわせしてしまいます。どうなったか??

CarterはMiltonを気にも留めず、浮かない顔で自分の髪の毛を気にして鏡をのぞいたかと思うと、トイレから出て行ってしまいました。

まさに「杞憂」だったのです。

いかがでしたでしょうか?「二本の矢」。この中に出てくる「受」は感受性と解説されていますが、般若心経に出てくる「五蘊(ごうん)」の「色、受、想、行、識」のひとつである「受」で「外界と触れて何らかを感受すること(玄侑宗久)」です。これを発展させると「色即是空」になります。それはともかく二本目の矢を受けることがないように歩んでいきたいですね。