ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、そして近年ブームのアドラーまで、脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

ユニークなシニフィエを貼る楽しさ

先日の「ネットでeクラス」のホームルームもとても楽しいものでした。特に答えの決まっていないような課題をしている時がなんだか面白いし楽しいという気がしています。たとえば、「次の単語から思い浮かぶものを考えてみましょう!」といった小学生低学年レベルの課題をあえてやっています。もちろん一般的なよくある答え、ありがちな答えも、「たぶん解答(正解の例)にあるね」ということでOKなのですが、むしろ「解答にはないよね」という答えが歓迎される風土があります。これは関西だからでしょうか。

 たとえば、「リ □ ン」で□には何が入るでしょう?という問いに「リコン」という答えが出たことがあります。「なに、離婚?え〜、普通ここはリボンやろ」といって爆笑が起こるのです。ひらがながマス目にランダムに並んでいる中から、言葉を見つけましょう!という課題で、「しれん」(試練)という言葉を見つけたり、「くすり」(薬)という言葉を拾ったりします。過酷な闘病を乗り越えてきた彼らならではの解答かもしれませんが、それが何だかとても可笑しいのです。

 言語学者のソシュールは、「シニフィアン」と「シニフィエ」ということをいいました。シニフィアンとは記号のことで「犬」という言葉であれば、犬という漢字はひとつの記号であり、イヌと発音します。この漢字や発音がシニフィアンです。実際に犬を見たこともなく全く知らない人なら「イヌ」という発音を聞いても、犬という漢字を見ても、犬のイメージはわかないでしょう。私も「イヌ好き、かわいい」などというのは、その発音を聞いたり漢字を見て犬のイメージをもつことができるからです。この想起されるイメージや概念をシニフィエといいます。心の中に浮かぶ「犬」のことです。

 私たちのコミュニケーションが成り立つのはこのシニフィアンシニフィエのおかげです。犬と言ったときにある程度同じイメージをみんなが持つことができるので会話が成り立つのです。犬といったときに「ねずみ」をイメージしていたのでは話が食い違ってきます。

 しかし、可笑しさとか「笑い」というのは、この一般的にみんなが想起しないようなシニフィエをイメージしたときに「起こる」ものなのかもしれません。幼児教育で速いペースで次々と絵の描かれたカードを子どもに見せてそれが何かを答えさせる学習方法がありますが、あれなどは心の中のシニフィエに近い絵をみせて、シニフィアンを言葉として発音し、ひと組のセットにしていっているのです。しかし笑いは想定と異なるシニフィエシニフィアンの組み合わせで起こります。「パンダ」の絵を見せたときに、まじめな顔で「カエル」と答えると可笑しいのです。

 実は、この可笑しさは「自由」につながります。このことはとても大切なことなのですが、このお話はまた次回に。