ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

インテグラル・コーチングに参加して

先週の木曜日に上京し、インテグラル・ジャパンの鈴木規夫氏の「インテグラル・コーチング」に参加しました。その場にいた全員の刺激を受けて、触発され、さまざまなものが自分の中に喚起されていましたが、今日になってほぼ整理できたように思います。

大変濃密な時間を過ごさせていただきました。その時間が充実していたというよりも、その後に続いた余韻が貴重であったように思われます。研修後にさまざまなことを考えさせられました。

特にコーチングのロールプレイングで「きかれる」ということが、大きな刺激になったようです。自分では手の届かない心のひだに触れた感じ、と表現するのがいいかもしれません。


発見できたことは、自分の人生の節目は、15歳、25歳、40歳にあるということです。

どの節目もそれまでの自分を「含んで超え」、新しい自分に重心を移したのだということがはっきりと分かりました。

最初の節目は、中学3年生の時であることは間違いありません。この頃に自分は決意して自分をコントロールし、物事を達成することの尊さ、その喜びを知りました。

ジブリ映画の「耳をすませば」は主人公である月島雫(中3)が「みんなと同じではない道」を「試してみる」物語ですが、この経験の中で彼女が脱皮するように成長する姿が描かれています。これはConformistもしくはアンバー段階からの脱皮です。

次の人生の節目は25歳であったことに気づきました。高校時代から予兆はありました。中学3年生の時のやり方だけでは通用しないことを感じていましたので、それを超えるやり方を模索していたのですが、それが何であるかわからないままに大学、社会人の3年間が過ぎて行きました。

そして結婚し、子どもが誕生し、人生に追いつめられる中にあって、自信があり得意でもあるオレンジの「型」をもって乗り切ろうとしました。そしてそれは成功しましたが、加速度がついていたこと、そして10年間という時間の中で十分にオレンジが熟していたことからオレンジを「含んで超えた」ところに重心が移っていきました。

この新しいステージは前の段階で掴んだアイテムに、新しい自分を加えて行く飛翔の段階でした。そしてついに「多様性」、「循環」、「相互依存性」の中に普遍性を見たように思われたのですが、非視点的なグリーンの眩惑の中で混乱していきました。15年間もの長い期間をこのステージで過ごしたことになります。

そして40歳の節目で「万物の歴史」に出会いました。非視点的な混乱に秩序が与えられました。さまざまのものを識別することが可能となりました。前合理―合理―超合理、前慣習―慣習―後慣習…、何でもありの混乱が、大きな地図の然るべき所へと収まっていきました。

その40歳の節目から、年が明けると、もうはや10年となります。
次の節目はいったい、いつ頃迎えるのでしょうか?
それとも、すでにどこかで、もう来ているのでしょうか。