ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

左上象限のSurrenderに符合する右上象限のα波

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フェーミ博士のThe Open-Focus® Brain(注)を読んでいます。第2章のタイトルがSweet Surrenderとなっており、どういう意味かな?と思いながら読んでいましたが読み進むうちに納得がいきました。以下P30〜P31からの抜粋です。

商業ベースのEEGバイオフィードバック装置は1967年に廃止となったので、私は設計して自分のものをつくった。ペンとインクで作成したEEGとオシロスコープを接続し、防音ルームのなかで、快適な椅子に姿勢よく座った。頭蓋計測点(後頭部のこぶ)にセンサーが取り付けられた。

次の4週間が終わるまでに、2時間のセッションを12回する間、α波(8−12Hz)を生じさせるための、想像できるすべての方法と格闘した。

目を閉じて試し、目を開けて試した。

部屋をマイナスイオン、香、音楽、異なる色の光でみたした。

どれもたくさんのα波をつくれるように思えなかった。

ついに13回目のセッションで、私は腹を立て、諦めて、要求に応じた基準以上のα波を作るのは私には単純に不可能であるという事実を受け入れた。

幸運にも、諦めたときにまだ接続をしていた。私は深く自分の失敗を受け入れたその次に、EEGは大変広範なα波の発生を記録した。十分広くて豊富な発生が5回続いた。

調子が出てきたぞ!私は信じられなかった。私はハードにやり過ぎていたのだが、それに気づかなかったのだ。

明け渡しによって、理解しがたいが私はα波の状態―機敏、覚醒、そしてリラクゼーション―に滑り込んだのだ。

それをコントロールすることはできない、少なくとも無理に作ることはできないと分かっていても、まだ私はそうしたかった。そして作ろうとして毎回、欲求不満となりできなかった。

実験が続くにつれ、私はα波の持続時間と十分な広さ、あるいはパワーを増大させることができることに気づいた。

2,3時間後にα波のなかで、貴重ですばらしい変化が起こりはじめた。

私の筋肉は柔らかくなり、あたらしく発見した非努力(effortlessness)と流動性を伴って動いた。

歩く時に、ときどき滑るようななめらかな感覚を感じた。

心配は消失し、非日常的な現前、中心化、宙に浮かんだような平衡感覚、光明と自由、落ち着いたエネルギッシュと自然発生的な感覚を。私は微笑んだ。(引用拙訳ここまで)



左上象限でSurrenderという主観的な心の動きがある時、右上象限では脳波がα波で同調するという現象が起こっているのです。とても面白いですね。

私は自分自身の経験である中学2年生の時の卓球の新人戦を思い出しました。

その前の日の夜、翌日の試合のことを考え続けていました。そして緊張と興奮で早く眠らなければ、と思えば思うほど寝付けず、夜が白んできた頃、もう駄目だ、睡眠不足でもう勝てないとあきらめると、少しだけ眠れました。

朝起きで出かけましたが、やはり身体は重くほとんど徹夜なので勝てる訳がないと思っていましたが、試合が始まってみると緊張はまったくなく流れるように身体が動いて、7回連続で勝ち抜くことができ、個人戦で優勝したのです。

私の探求はこれが一つのきっかけだったように思います。

もうひとつ頭に浮かんだことがあります。

私は10年ほど前からバセドー病を何年か患っておりましたが、症状が出ている時の状態を今想像してみると、α波のリラックス&アラートな状態とは全く逆のオーバーアラート状態であっただろうと思われます。

ナローフォーカスが中心となりおそらく脳波はβ波の中でも最も周波数の高い50Hz付近に張り付いていたのではないでしょうか。

この2年ほどはILPの効果もあって全快しています。

それはともかく、インテグラル理論のクオドラントをこのフェーミ博士のオープンフォーカス理論にあてはめて「明け渡し」を捉えると、左上象限のSurrenderに符合するのが、右上象限の脳のα波、同調状態であるというのが今回の新鮮な発見でありました。

引き続きフェーミ博士のオープンフォーカスを見ていきたいと思います。

注)フェーミ博士のオープンフォーカスは著書にOpen-Focus®と記載されています。これは商標登録のマークです。ホームページhttp://www.openfocus.com/にはOpen Focus TMと記載されており商標であることを意味しています。オープンフォーカスという言葉は他の人が異なる意味、文脈で使用することもあるようですが、フェーミ博士のいうオープンフォーカスはそうしたものとは明確に異なるものとして理解すべきであると私は認識しています。