ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

心理療法と相互補完的なオープンフォーカス

フェーミ博士のThe Open-Focus Brain 第10章 Attention and Psychotherapyの中で、伝統的な心理療法とオープンフォーカスの関係が述べられています。

私も、シャドーワークが対象とする抑圧に対してオープンフォーカスをどのように位置づければいいのだろうか?という問題意識がありましたので興味深く読みました。

結論を先にいうと、オープンフォーカスはトークセラピー(認知療法行動療法、人間関係療法)などの心理療法と相互補完的に、相乗効果のある形で組み合わせて運用できるということです。

まずは以下、p142〜p143からの抜粋です(拙訳)。

私の妻であり生涯のプロフェッショナルなパートナー、スーザン・ショー・フェーミ、MSW(医療ソーシャルワーカー)、はオープンフォーカス・トレーニングを使った精神力動的なトークセラピーの統合の草分け的存在として、重要かつ独自の貢献をしてきた。

以下の内容は彼女の経験と二つのアプローチをどのように組み合わせるかについての彼女の見解から引き出されている。

グローリアという名前の彼女のクライアントは、心理療法に習熟しており、彼女が幼い頃に父親との関係における無力感(feeling of helplessness)がまだ彼女の男性、特に権威的存在との関係に影響を与えていることを理解するようになった。

権力をもっている周りの男たちから感じるどうすることもできない感覚は、彼女の過去のこだまであると知的に彼女は分かり、その知識がその感覚と彼女自身の距離を取るのに役立っていた。

しかしその無力感が引き起こされる都度、不安の波を彼女はまだ経験していた。

セラピーのセッションの間、グローリアは彼女のボスとの出来事を述べた。

彼女が彼に話しかけたとき、この無力感が生じ、彼女はこの感覚は本当に子ども時代にあったとその瞬間認識するのだ。

これは過去の感覚を今の状況から切り離すのに役立ち、おかげで彼女の雇用主に神経症的なやり方で感情を露わにすることはなかった。

しかしながら彼女がスーザンに出来事のあいだ感じた不安を述べたとき、無力感が再び現れた。

スーザンはオープンフォーカスのエクササイズを通じて彼女を導いた。無力感と不安感を分解させるために。

スーザンはそれから「闘いの真っ最中」にあるこれらの感覚をどのように分解するのかを彼女に話した。

しばらくして、グローリアはこれらの感覚が生じるや否や、その分解に適用するようになった。3ヶ月後、無力感はもう仕事中にはめったに生じなくなったとグローリアはいった。

そうなるときは、彼女のアテンションがナロー/オブジェクティブになりすぎているのだということを彼女は認識できるようになった。

彼女は、ナローフォーカスが生起するのに気づいたとき、アテンションをディフーズにし、今度は、それが分解されるまで無力感に浸る(to immerse herself)ことが容易になった。

まもなく、グローリアはすべての不快な感覚にこれを適用することができるようになった。

オープンフォーカスがなくても、心理療法はより良い生活に役立ったが、彼女は痛みの感覚を残したままだった。

スーザンの評価では、彼女は慢性的な感情の痛みを分解することができ、トークセラピーを単独で使えるようになるよりはやくオープンフォーカスを使えるようになった。

アテンションは中心的な役割を演じるが、トークセラピーではほとんど認められていない。

ナロー/オブジェクティブなアテンションは私たちが不快な感覚や問題のある考えを抑圧する戦略だ。

α波がリラックスした脳波の活動に関係する一方で、それはまたアテンションのタイプにも符合する。

そのなかで私たちは抑圧された心の中味のドア、トラウマティックで、感情的に溜め込まれた過去の記憶のドアを開き始めるのだ。


それでは次に「オープンフォーカスとトークセラピーの結婚」というP147〜P148の節からの抜粋です。

The Marriage of Open Focus and Talk Therapy

はじめスーザンはオープンフォーカスと心理療法を統合する方法について確信が持てなかった―そして私も。

(中略)
はじめ私たちは二つの実践を行った。ある者には伝統的なトークセラピーを使い、他の者にはオープンフォーカスとニューロフィードバックを使った。

しばらくして、スーザンは多くのオープンフォーカスを受けたクライアントが、伝統的心理療法で取り組んでいる同じ問題の多くを自然に、見事に処理しはじめたことに気づいた。

驚いたことに、彼らはそれらの問題を楽々と、完璧な解決にまで見事に処理したのだ。

一緒に私たちは、試験的に二つのアプローチを組み合わせる方法を持ち出してみた。

スーザンは発見した。サイコダイナミック心理療法とオープンフォーカスを一緒に使うことは天国の結婚(marriage made in heaven)であることを。

クライアントの大きな問題がトークセラピーで成功裏に治療でき、しかしいくらかの不安と他の症状がとれずに残っているような時、オープンフォーカス・トレーニングへと切り替えること(特にdissolving-pain exercise)は、残っているものを速く「クリーンアップ」するのに大変有用だ。

例えば身体的、感情的なhabitual gripping(恐れなどで身動きが取れないことが習慣的になっていること)など。

この方法の切り替えはトークセラピーよりももっと効果的であることが示された。

オープンフォーカスは生理機能を健全化し、思考や記憶の中で引きこされた痛ましい感情を受け入れることを容易にすることによってクライアントの治療のプロセスを加速する。

アテンションをディフーズし、痛ましい感覚のなかへ彼ら自身を没入させるのが、より楽であると彼らには分かるのだ。痛みが分解するまで。

そのうえ、全体のプロセスが不安を生みだすことはほとんどない。なぜなら、クライアントは今やより大きな、より包含的なアテンションのフィールドにアクセスすることができるから。

対象とそしてスペースと溶け合わせることによって。彼らのアテンションのすべてを占領するものなど何もないのだ。

アウェアネスの大きなフィールドの中で、不安は小さな要素になっていく。・・・
(以下省略、抜粋ここまで)


いずれも心理療法では取り除けずに残された無力感や不安などをオープンフォーカスによってフォローすることで分解したという事例でした。

否認、抑圧を引き起こしがちなナロー/オブジェクティブなアテンションに対し、自分の中にその痛みを認識し受容するディフューズ/イマーストのアテンション・スタイルはILPの3-2-1シャドウ・プロセスに共通するものがあります。

攪乱者 disturbance - ウィルバー哲学に思う


痛みを通じてそれと対峙し(3→2)、immersedのプロセスを通じて自己に再編入する(2→1)のです。

P145にこう書かれています。(以下引用)

このセラピー(トークセラピー)のプロセスは、アテンション・トレーニングの形でもある。

というのも、トークセラピーで現実に起こることは、次第にアテンションが開かれていき、きつく詰め込まれた痛ましい事柄へと溶けて入りこむことだからだ。

それは以前にナロー/オブジェクティブなフォーカスでだけ蓄えられ、少し遠くに置かれてきたものだ。

しかし一度意識に認められると、これまでの抑圧された記憶と感情は、いまここの経験へと統合されるのだ。(引用ここまで)



バイオフィードバックやニューロフィードバックには様々なものがある(日本バイオフィードバック学会などがある)ようですが、フェーミ博士の独自性はそれを利用してアテンションのスタイルがこれ(周波数として測定される脳波の状態)を左右することを発見したことであると思います。

しかもそれをエクササイズに落とし込んで確立したことで、この本に書かれているような成果が可能となったのでしょう。

私は個人的にはこの手法は、ILPやエックハルト・トーレの言っていることに大いに通じる点があると思います。

もちろん私がこの本を読むきっかけになった、(故)松永太郎さんがそうした共通点を感じていたことは間違いないでしょう。

エックハルト・トーレの言うインナーボディは、ディフューズなアテンションで感じ取られるものと同じです。

これはILPのボディモジュールに出てくるsubtleボディであり、心身統合の状態につながります。

その時の脳波の状態は、α波、もしくはその同調状態です。

それはエックハルト・トーレのいう、still alertness あるいは alert stillnessであり、フェーミ博士はリラックス&アラートと呼んでいます。

それは、宮本武蔵が兵法三十五箇条で書き記した「観の目うらやかに相手を見るべし」であり、また玄侑宗久さんのいう「うすらぼんやり見る」であり、それこそまさにオープンフォーカスそのものなのです。