ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、そして近年ブームのアドラーまで、脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

「間」にフォーカスする

フェーミ博士の著書The Open-Focus Brain の続きです。

「無で大騒ぎ」(?)と訳せばいいのでしょうか? 以下、p36のMuch Ado about Nothing という節からの訳出です。 (以下引用)
 

(無は無よりもっとリアルである サミュエル・ベケット)
 


1971年私は近道を発見した。研究の実験において、ボランティア学生はEEGでモニターされながら、数多くのリラクゼーション方法を受けさせられていた。どのエクササイズがもっとも同調位相のα波を出すのかを知るためである。

何人かには平和な風景や場所を視覚化することを求めた。何人かは好きな音楽を聴いた。ほかの人は香水、マイナスイオンの発生、色のついた光を試した。

これらのいくつかは穏やかなα波の増進効果が見られた。が、たいていはほとんどインパクトがなかった。

ある日、私は標準的な12個のリラクゼーションの棚卸しを試みた。最初に2,3の質問をする間、―薔薇の花びらの露のしずくをイメージできますか、あるいは滝のカスケードを想像して下さい―彼らのEEGはほとんど変化を示さなかった。

それから、私はたずねた。「両目の間のスペースをイメージできますか?」Boom.

ペンはα波の高い振幅のシンメトリカルな波形を描いた。

続く質問は、「両耳の間のスペースをイメージできますか?」ふたたび、boom.

高い振幅のα波が即座に見られた。

これらの「スペース」が関連したいずれかの質問が求められた時、被験者はほとんどいつも変わることなく、モニターされた脳の領域において、α波の同調の著しい増大を生じた。

他のどんな質問やイメージもそのようなEEGの深遠な変化をもたらさなかった。

「対象なき心象(Objectless imagery)」―多感覚的体験、スペースへの気づき、無、あるいは無いこと―はほとんどいつも大きな振幅と長時間の同調位相α波の活動を誘発するのである。

「無」とは単にないことではない。無とは事実、偉大でたくましいヒーラーであり、私たちの神経システムの健康を維持し良好な状態を保つ上で決定的に重要である。

スペースは注意を向ける対象のなかでもユニークな存在である。なぜなら、スペース、沈黙、そして無時間には集中することができない、あるいは分離した体験として把握することができない。

スペースは(対象)を通り抜けて、あなたの注意を行き渡らせる。あなたの全感覚を通して。

スペースを見ること、聞くこと、味わうこと、触れて感じること、臭うこと、そしてスペースを考えること、その中に浸ること―その間、同時に非時間を体験すること―は手放すパワフルな方法であり、私の知っている最もパワフルな道である。


単純にEEGの動きをみることで、スペースに気づくことの(中枢神経系統における)力強い効果を私なりに発見した。

しかしスペースに気づくこと、無に価値があることを理解したのは、私にとって最初でなかったのは確かだ。

瞑想のゴールとして、私はスペースと無を知覚することの他の例を見出していたからである。

ある東洋の神秘は書いている。「群衆に囲まれたとしても、あたかも1万マイル広がる荒野にひとりいるかのような心の状態に達する」ことが重要であると。

日本は「間」の哲学を持っている。それは対象そのものと同じように対象と対象の間のスペースを見る能力である。(引用拙訳ここまで)


この本にはエクササイズ用のCDが付いており、その中にこのスペースにアテンションを向ける実践が示されています。その多くは、上の文章にあるような

Can you imagine the distance or space between your eyes? や、
Can you imagine the space inside your eyes? あるいは
Can you imagine the space between the cip of your chin and the back of your neck?

であってエックハルト・トーレのいうインナーボディに意識を向けることに類似した内容となっています。

しかも鼻の穴、喉、歯、歯茎、額、肩、手、親指、人差し指…と徹底的に細かいです。
でもそれくらい細かくやるとさすがに効果はありそうです。

そして今回の引用分の最後に日本の「間」の哲学、という表現がでてきました。哲学としての「間」というのはいいですね。

エス・バイ・エル(株)の住宅シリーズの中にジャパニーズモダンをコンセプトとしたMinkaという住宅があります。先日見学する機会があったのですが、この住宅のコンセプトは「間」なのです。

現代の住宅事情ではどうしても少ない予算で効率的な住宅を建てようとすると機能中心になりがちです。しかしこの住宅はその一見無駄に見える遊びの部分、余分ともいえるスペースを「間」として住空間の中心に据えています。

禅寺等に行くと感じられる、あの静寂で透明な空間も、「間」の配置が絶妙だからでしょう。

「間」は背景であるともいえます。私たちは、背景があるからこそ対象を識別できるのですが、どうしてもそれには気づかず識別された前景(対象)の方にばかり目が行きがちです。

しかし背景なくして前景はありえないわけです。そして前景だけでなく背景にもフォーカスする自在なアテンションのスタイルがオープンフォカスです。

禅寺に入ると、Stillnessを感じます。同時に明晰さが生じます。これはリラックス&アラートの状態に脳波が導かれているのです。

それはオープンフォーカスという実践を促す「間」の哲学の現れなのかもしれません。