ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、そして近年ブームのアドラーまで、脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

ペインボディに餌をやらない、ただしシャドウに留意して

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“Eckhart Tolle & Sri Aurobindo”からトーレ独特の表現でもある「ペインボディ」について解説された記述がありましたので紹介させて頂きます。(以下引用)

The Pain Body (P18〜)

私が最も価値があることを見出したエックハルトの心理学的洞察のいくつかは、ペインボディ(pain-body)と彼が呼ぶものと関連している。

当初、私はそのペインボディの意味をよく理解するのに多少困難を覚えた。

他のマスターの教えの中で、はっきりと頭に浮かぶものをそれと関連づけることができなかったためである。

しかし、しばらくたって、ペインボディとシュリオーロビンドがlife-natureあるいはvital beingと呼ぶものの側面との間に、共通点を容易に認識するようになった。

それは彼が述べているように人間を構成する紛れもないひとつのパーツなのだ。

生命エネルギーは、それが自由に流れるときは、美しいとエックハルトはいう。

しかしそれが閉じ込められるときには、収縮と苦痛を生む。

ペインボディとは、一時的に体内に止まり、もはや流れていない、生命エネルギーなのだ。

unhappyな感覚のすべての形は、ペインボディが顕在化したものであるとエックハルトはいう。

不安、怖れ、抑うつのようなunhappyな感覚の形態は、苦痛として誰でもがよく感じるものだ。

しかしながら多くの人は、嫉妬、焦燥、短気、怒りもまた苦痛の形なのだ、ということを分かっていない。

例えば、怒りのあるところにはどこでもその下に苦痛がある、ということを理解するのには心理学的な洞察が必要だ。

それゆえ、ペインボディに対処する最初のステップは、その顕在化のサインを認識すること、を学ぶこと。

すなわち、それが生じるときにいつでも、それを意識できるようになる(become conscious)ことだ。

ペインボディは常に誰の中にも見えないものとして常に存在している。深刻なunhappyにある人を除いて。

ペインボディに関する教えで、たいへん実践的価値のある洞察は、たいていの人の中にあるペインボディには、休止中と活動中という2つの存在する状態(モード)があるということだ。

同種のエネルギーと共鳴する経験を通じて補充される必要のあるとき、それは周期的に活性化する。

それが怒り、不安、抑うつ、あるいは他のペインボディの形態であろうと。

活性化のモードにある間は、ちょっとしたきっかけがあれば、それは誘発される。

重大ではない出来事、罪のない発言、あるいは単なるひとつの考えでさえペインボディの攻撃を倍加する。

それゆえ、ペインボディが活性化モードにあるときは、ペインボディと自分自身を同一化しないように、その結果、無意識へと落ち込まないように、すべてを油断のない敏なる(more alert and vigilant)状態にしておく必要がある。


エックハルトは、ペインボディが餌を食べるのには2つのやり方があるという。

ひとつは、心の中に湧き上がり、思考をコントロールするというやり方。ペインボディと関係のある感情が心の中に流れ込んできたとき、苦痛は激しくなる。

それが生じるとき、現前にある(becoming present)ことによってペインボディを観察することが、それからの解放の始まりとなる。

現前は、ペインボディによってマインドコントロールされることを、防ぐためである。


ペインボディが自分を太らせるための二つめのやり方は、他の人から感情のフィードバックを引き出すことによってである。

エックハルトはいう。ペインボディは餌を摂るため、極めて巧妙に、他の人から感情的な反応を引き出す方法を見つける。

右のボタンを、どう押せばよいのかを知っている。

そう、人間関係において、知り合いの誰かに湧き起るペインボディを認識するため、用心深くあることが必要だ。

現前を保つことによって(by remaining present)、反応することを止め、それゆえ他者のペインボディにフィードバックを供与することを止めることができる。

ペインボディが自分の中に湧き起りはじめたとき、それを注意して見守る(watch)ことは、たちまち苦痛を分解する。

必要なことはシンプルに、痛みをウォッチしつづけ、それとの闘いを試みる代わりにそれを感じ(feel it)、その存在を許すことである。現前の状態を保ちながら(holding the state of Presence)。

ペインボディが現前(Presence)と遭遇するたびに、ペインボディはその貯蔵エネルギーを失っていき、Presenceの感覚が育っていく。

ペインボディは、増強するPresenceに燃料を供給する。

こうしてPresenceの障害物としての存在から出発したペインボディは、やがて最もパワフルな実践に動機づけを提供するという役立つ存在となるのだ。

人が今ここにいないでそして無意識にペインボディと同一化するとき、苦痛は生じる。

「無意識がそれを作る。意識はそれを意識自体に変性(transmute)する。」

それをウォッチすることは、今この瞬間のありのまま(what is)のパーツとしてそれを受け入れることなのである。

(引用ここまで)

これを読んで以前ブログに取り上げたILPのシャドウモジュールに関する記事との関連に気づきました。非常に共通点があるのはネガティブな感情をエネルギーに変換するTransmuting Emotionのプロセスです。

感情に気づきエネルギーに昇華させる - ウィルバー哲学に思う


しかし、これは本来的な「原形」の感情に対して対処可能なものであって、抑圧がおこり「原形」の感情が「症状」として変換されてしまっていてはこの方法ではウォッチすることができません。

「実践インテグラルライフ」のP73には「原形」と「症状」の対応表が掲載されています。

例えば、「衝動」という原形は、「嫌悪」あるは「プレッシャー」という2次的な症状としての感情に変換されます。「興奮」は「不安」に、「他者への関心」は「自意識」に、「攻撃心」が「恐怖」に、「怒り」が「悲しみ」あるいは「恐怖」に、「拒絶」が「引きこもり」に、「私はしない」が「私はできない」に、「欲望」が「義務」に、「自己嫌悪」が「嫌悪」に、そしてゴールデン・シャドーの形として「私は自分で気づいているよりすばらしい」という感情が抑圧されると「憧憬(あなたは本当にすばらしい)」あるいは「羨望(envy)」という2次的な感情になります。

2次的な「症状」としての感情は、一度本来の感情に戻してやらねばなりません。「悲しみ」や「恐怖」を感じている時には「抑圧」された怒りが隠されているかもしれません。「不安」があるのは「興奮」を抑圧しているからかもしれないのです。
外から来るように思われるこうした感情を、本来あるべき自分のものとして取り戻すワークが3-2-1 Shadow Processです。

話を戻すなら、ペインボディとは抑圧された負の感情であるように思われます。それには餌をやらないこと、すなわちその感情に同一化せず、ウォッチすることです。それがトーレの教えです。しかしシャドウのメカニズムからすると、その感情は症状としての2次的感情かもしれません。変換された「不安」を目撃するだけではダメで、元の「興奮」という感情が自分の中にあるとしっかり自覚する必要があるのです。

大きなイベントなどが迫ってくると、「不安」を感じずにはいられませんが、それは必ずしも「不安」なのではなく、ワクワクする「興奮」をうまく感じることができないのかもしれませんね。

この文章を書き始めたとき「ペインボディに餌をやらない」をタイトルにしていましたが、最後に書き直しました。

「ペインボディに餌をやらない、ただしシャドウに留意して」

ということにしたいと思います。