ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

心の静寂と思考の不在によって特徴づけられる「意識のphenomenon」

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“Eckhart Tolle & Sri Aurobindo”からトーレのいうEgoic Selfの7つの特徴の最後であるPerceiving through the Veil of Mindを今回は取り上げます。(以下引用)

Perceiving through the Veil of Mind 心のベールを通して知覚する

このメンタルノイズについての教えは、心の静けさを扱っている修行の様々な流派に見られる。

エックハルトの教えの斬新性は、何がメンタルノイズを構成しているのか、に関する広範かつ深遠な見識にある。

それは思考の絶えざる流れだけでなく、現実を知覚する心の活動のすべてを含んでいる。

人が知覚するものに何でもラベルを貼るという行為に含まれる基本的な心の活動さえも。

例えば花を、いうなればバラのようなものを、知覚しそれを認識するとき、心でそれにバラとしてラベルを貼る。

エックハルトの観点からすると、それもメンタルノイズである。

人はそのバラという存在を理解しないだけでなく、頭で概念化したラベルのベールを通してそのバラの特別な形を理解する。

こうして、ラベル貼り、判定、分析、比較、分類、解釈、理論化などの形態に存在するメンタルな働きのすべてが、メンタルノイズを構成する。

それは、ありのままに(as it true is)リアリティを理解することを妨げてしまうのだ。

心を超えて存在するstillnessを通してのみ、人はありのままにリアリティを知覚できると、エックハルトはいう。

この教えは、エックハルトのいう深い意味のメンタルノイズを通して、私たちの世界とのコンタクトがどのように短絡的になされているか、という事実に対して驚くべき洞察を与えてくれる。

この点に関して彼の感動的なメッセージがある。

「メンタルノイズのかわりに、stillnessを通してすべての人すべてのことに出会うことは、あなたが宇宙に与えることができる最も素晴らしい贈り物である。」

「私はそれをstillnessと呼ぶが、それは多くの側面をもつ宝石だ。そのstillnessは喜びでもあり、そして愛である。」

エックハルトがメンタルノイズに与えた意味によって、私はthe Motherのいう「心の現象mental phenomenon」(思考を含んでいる)と「意識の現象phenomenon of consciousness」(心の静寂と思考の不在によって特徴付けられる)の定義をよりよく理解することができた。

彼女は言う。


「意識の現象と心の現象を識別することを学ばねばなりません。」

「この意識が、考え(a thought)や見解(thoughts)へと組み立てられないようなやり方で、人は経験を意識していることが可能です。」

「これはもし、心が絶対的に静寂で沈黙に留まろうとするのであれば、大変重要なことなのです。」


この点に関して、もっとも私に訴えかけてきたエックハルトの教えのひとつは、彼が「思考のない気づき(thoughtless awareness)」、あるいは思考を伴わない意識と呼ぶものを涵養することである。

(引用ここまで)

心の静寂と思考の不在によって特徴づけられるphenomenon of consciousnessとは、
メンタルノイズのない意識によって直接感受されるリアリティ、あるいはSuchness(如性)のことを言っているのは間違いありません。

この意味で、phenomenonを「現象」と訳すのは実は不適切で、むしろ英英辞典に出てくるsomething or someone that is very unusual because of a rare quality or ability that they haveというニュアンスの方がピッタリきます。

私とは誰か?自己同一性のライン - ウィルバー哲学に思う

でいうところの「無濾過のリアリティ」です。

どうも「無濾過」という言葉が出てくるとどうしても生原酒という連想にシナプスがつながってしまいます(笑)。

これは、わたし特有の心のベールなのでしょう。今日はこの辺にしておきたいと思います。