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ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、そして近年ブームのアドラーまで、脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

恐れと欠乏の感覚

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前回の勉強会でビッグマインド・プロセスを受けている時、「プロテクターとコントローラーのいずれにも、根底に恐れが潜んでいるな」という感じを強くもちました。

このことをあらためて考えてみると、エニアグラムでいうところの「根源的恐れ」とエックハルト・トールのいう感情的な痛みの下に横たわる「基本的な怖れ」のことが想起されました。

私のエニアグラムのタイプは8なので、他者に傷つけられ、コントロールされることにたいする根源的な恐れがあります。状況をコントロールできないことに対する恐れが強いタイプなのです。

ちょっと復習してみますと、タイプ1は「自分が悪く、堕落し、よこしまで、欠陥があること」を恐れます。タイプ2は「自分が愛されるにふさわしくないこと」を恐れます。タイプ4は「アイデンティティや個人としての存在意義をもっていないこと」を恐れ、タイプ5は「役に立たず、無力で、無能であること」を恐れます。タイプ7は「必要なものを奪われ、痛みから逃れられないこと」を恐れ、タイプ9は「つながりの喪失、分裂」を恐れるのです。

そしてエニアグラムでは、こうも書かれています。

それぞれのタイプは独自の根源的恐れをもっています。ただし根源的恐れは普遍的なものでもあります。より微妙な観点からするならば、それぞれの根源的恐れは、死や消滅という普遍的恐れに対する反応です。つまり私たちの性格が無にたしてもつ恐れなのです。


FearについてはDalalの「エックハルト・トール&シュリオーロビンド」(p8)で、次のように書かれています。

Fear―Insecurity
エックハルトの教えの心理学的洞察のひとつはエゴの性質に関するもので、それを彼はマインドとの同一化として述べている。

エックハルトは言う。
マインドと同一化することは自身の深遠な自己、そして真実の力と断絶することだ。それゆえマインドと同一化したエゴは常に脆弱で安心できないという感じをもつ。それはなくなることのない脅威を経験し、絶え間ない恐れの中で生きることだ。こうして実際にはすべての人が恐れを抱いて生きている。その程度はさまざまであるが。
 至る所にある恐れの性質についてのエックハルトの教えに出会った後、私は何十年も前に最初に読んだthe Motherの次の文の真実と一致していると分かった。

普通の人の状態は、不安と恐怖が満ちています。もしあなたが自分のマインドを10分間深く観察するなら、10のうち9は恐れに満ちていることを見つけるでしょう。多くのことについての怖れを内包しています。大と小、近くと遠く、見られるものと見えないもの、そしてあなたは通常それに気づいていませんが、それは同じようにそこにあるのです



そしてThe Power of Nowのその部分を読み返していると、感情的な痛みのもう一つの側面として、何と「sense of lack(欠乏感)」があげられているではありませんか。

これはDavid Loyのいうa sense of lack(欠乏感)と一致します。

The Power of NowのP45〜46の The Ego’s Search for Wholenessにはこう書かれています。(以下拙訳:邦訳本の文章とはかなり違った感じになりますが)

もうひとつの感情的苦痛―それはエゴ的なマインドの内在的な部分であるが―の側面は、深く居すわった欠乏の感覚(sense of lack)あるいは不完全性、全体ではないという感覚だ。

これに気づいている人もいるが、多くの人はこのことに無意識だ。

もしそれが自覚されるなら、それは、落着きのなさ、ふさわしくないこと、十分良くはない、という継続した感覚として現れる。

もしそれが無意識であるなら、それは激しい渇望、不足感、欲求として間接的に感じられるだけだ。

いずれのケースも、人々はしばしば、エゴの満足感そして同一化するものへの強迫的な追求へと入っていく。彼らが内面に感じているこの空虚を満たすためだ。

そして彼らは、所有、お金、成功、権力、評価(recognition)、あるいは特別な人間関係を求めて励む。

基本的に自分自身についてよりよく感じることができ、より完全に感じることができるように。

しかし彼らがすべてこれらを獲得した時でさえ、彼らはその空虚がまだそこにあることを、そしてそれが底なしであることを発見する。

その時、本当に彼らは苦悩する。自分自身をこれ以上欺くことができないからだ。

いや、彼らはできるし、そうする。しかしそれはもっと難しくなるのだ。

エゴ的なマインドが、あなたの人生を駆り立てる限り、あなたは安らぐことができない。

渇望がちょうど充足したとき、あなたの欲しいことが手に入ったときのほんの束の間を除いては、平安に満ち足りることはできないのだ。

エゴは(他から)派生した(derived)自己感覚であり、それは外の物事との同一化を必要とする。

それは防衛と栄養の両方をいつも欲するのである。

もっともよくあるエゴの同一化の対象は、所有物、している仕事、社会的地位と評価、知識と学歴、容姿、特別な能力、人間関係、個人そして家族の歴史、信念体系、そしてしばしば政治的、国家的、人種の、宗教的、そして他の集合的な同一化である。

驚いただろうか?あるいはこれを知ることがひとつの救いになっただろうか?

これらすべてをあなたは遅かれ早かれ手放さなければならないだろう。

今はまだ信じるのが難しいだろうが、おそらくあなたはそれが分かるだろう。

私はあなたのアイデンティティがそれらのどこにも見出すことができないということを信じるようあなたに求めているのではない。

あなたはその真実を自分自身で知る。

死が近づいてきたと感じるときに、少なくともそれをあなたは知る。

死はあなたでないものすべてを剥ぎ取って行く。

人生の秘密は「死ぬ前に死ぬ」ことであり―そしてそれは、死などないことを見つけることなのだ。(引用拙訳ここまで)



最後に「死ぬ前に死ぬ」が出ましたね。

この完全性を目指す傾向とは、ウィルバーのいうアートマン・プロジェクトアートマンを目指す衝動と同じですよね。

ということで、恐れ(fear)と欠乏感(sense of lack)が根源的なものであることを、エックハルト・トール、David Loy、エニアグラム、ウィルバーとの関係で見てみました。

このブログは前月の勉強会の直後から書き始めたのですが、なかなか進まず、とうとう最後はまとまらないままに書き終えました。まあこういう時もあります。気持ちを切り替えて次に臨むとしましょう。