ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

調子を良くする「おーとっと」

年末から、自分にとって尊い(?)感覚をいくつか思い出していた。

中学の頃、卓球をしていた時のあの感覚。腹が入っていて、どこに打って来られても返せる感覚。映画「フォレスト・ガンプ」の卓球のシーンを見ると思い出す。そんな感じ、そんな感じだ。

小学生の頃、器械体操していた時、柔道場の畳の上で地上回転。助走をつけず、つく手の位置をだんだん下げて、それでも前方に回転してピンとひざを曲げず立つことを目指していた、その時のあの感覚。空中回転しようとしている時のまさにそのジャンプするあの感覚もそうだ。

小学生の頃、釣りをしていた時の感覚。浮きがククッと沈み、魚が引くとなんだかワクワクしてたまらないあの感覚だ。友達はエサがなくなったからと帰って行ったけど、もう一度エサを買いに行って釣りを続けていたあの頃。はまり出したら止まらない自分の性格は、すでにあの頃から形成されていたのかも。

高校時代、あの歩き方をしていた時。歩くリズム、そして背筋から頭までピンと伸びている、無駄な力は入っていないけど。そういう歩き方をしている時は調子がいい。そんな歩き方を意識していた時期があった。

高校時代、物思いに入ってしまいそうになった時に、心で「おーとっと」といってフッと元に戻り、じわっと、ただ今やるべきことをやる、あの感覚。一日に何回も「おーとっと」とやって、部活も勉強も人間関係も調子がよい時期があった。

幼稚園の頃、虫を捕るのが楽しくてしょうがなかった。青虫(特にアゲハ蝶の幼虫)やハッタイ(コフキコガネ)、カミキリ(ムシ)・・・。いくつかの昆虫が動くのを見たり触ったり、今から思うと何に惹き付けられていたのか。

高校時代、教科書の行間に文字を書き込んでいくとき、書こうとする内容だけではなく、書く文字そのもの、書く行為そのものにフォーカスしている、あの感覚。決して書くのを急いではいけない。


ちゃんと書くと、何かが違ってくる。
ちゃんと聞くと、同じようにそうかも。
ちゃんと話すのも、そうかも。
ちゃんと動くと、もっとそうかも。

だからボルダリング(低い岩でのフリークライミング)をしている時、岩のスラブ(比較的傾斜の緩いなめらかな一枚岩)に背筋を伸ばしてつま先で立つと、インスピレーションが湧くのかもしれない。


このブログは年末からここまで書いて、元日ぐらいで止まっていた。標題も未定で、これ一体何を書きたいのかな、という感じだった。

そして一昨日から、ヨンゲイ・ミンゲールを読んでいたのだが・・・。

見つけた!ウワー、はじめて見つけた♪

P209にこう書かれている。(以下、引用)

最初は、思考に対する注意は弱まりがちです。それでもよいのです。もし心がさまよいはじめたら、ただ、さまよっているという状態に気づきます。白昼夢でさえ、瞑想の支えになります。もしその瞑想に「気づき」の意識を十分に染みわたらせることができれば。
あるいは、突然、「おっと、今、思考を見守っているはずだった。形に気づいているはずだった、音を聞いているはずだった」などと気づくかもしれません。そのような時は、ゆっくりと注意を、何であれそのとき向けるはずであったものに戻します。偉大な秘密とは、この「おっと」という瞬間にこそ、あなたの根本的な性質の、瞬間的な経験にほかならない、ということです。
「おっと」という経験のたび、それを捕らえられればいいのですが、それはできません。今度は「おっと」が何を意味しているのか、などという概念を作ってしまいます。修行を続ければ続けるほど、「おっと」という瞬間は多くなるでしょう。やがて、こうした「おっと」が続いていき、ある日、「おっと」が自然な状態になるでしょう。神経回路のうわさ話から解放されることによって、あなたはどんな思考、どんな状況も、完全に自由にみつめることができるようになるでしょう。
「おっと」というのは、とてもすばらしい瞬間なのです。(引用ここまで)

そうやんなっ、パシッと膝を打った。まさに「わが意を得たり」だ。

私の表現は「おーとっと」で、ミンゲールは「おっと」となっているが、これは松永さんがそう訳したのであって、英語ではuh-ohかな?とおもっていたら、ちょうど今、これを書いている今、ピンポーンと宅急便で原書が届いた。調べてみると、P163、あった!Oopsだ。

それはともかく、過去にこのブログで何回「おーとっと」を取り上げていたであろうか。キーワードに入れて、サイト内を検索すると5つのブログが出てきた。

2009年2月7日
「おーとっと」と気づいた瞬間、空を流れる雲を見るように、心を流れる思考を見たのです。思考との同一化を離れることで、なぜか余裕ができます。息がふうっと出ます。肩の力が抜けます。忙しいときほど実はこの気づきを入れた方が効率はよくなるのです。

2009年3月15日
そのような感情や感情と結びついた思考があることに気づき、そのことを認めながら、それに同一化するのでなく流れる雲を見るように目撃者に安らぐこと。そのペインボディのもたらす思考から白昼夢に引きずり込まれたなら「おーとっと」と「今にあること」に意識を戻すこと

2009年9月25日
具体的には、まず、そうしたネガティブな感覚があることにふと気づいたら、「おーとっと」としっかり気づきます。むしろ歓迎して気づくようにします。私の場合、昔のアリス(フォークシンガーのグループ)のように「あぁりがとう!」と心で答えたりもします。なぜなら、その「ネガティブな感覚」が気づくためのシグナルを出してくれたのですから。

2009年11月14日
その問いを発したときに、気づいてフウッと脳ミソが浮いて楽になるような瞬間があります。私はそれを昔から「おーとっと」と自分で呼んでいますが、それは自動思考的な心に気づいた時の、気づきの言葉です。脳は何も考えないということにむしろ苦手で、考えないようにすると勝手にシナプスがつながっていって、いろいろなものが連想で出てきます。放っておくと際限なくおしゃべりしています。そのおしゃべりに対する殺し文句のようなものが、この四つの問い(ILPのIntegral Inquiry)なのでしょう。

2009年11月21日
無意識に心がしゃべっている状態が続いているようなら「おーとっと」と気づき、ひと呼吸入れて、subtleエネルギーを感じるようにしましょう。座っていたくない所に座っていないといけないなら、背骨を伸ばして座りなおしsubtleなエネルギーを楽しみましょう。より明晰な状態になった自分を見つけるはずです。



えー、書き出しの時にまさかこんな着地点になると予想しませんでしたが、高校時代の自分の合い言葉で締めくくりたいと思う。

不調なら、調子を良くする「おーとっと」。