ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、そして近年ブームのアドラーまで、脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

Meというスーツを脱いで「背景にある感覚」に気づく

昨日から今日にかけて2つの英文ブログ(エリック・トンプソンとエックハルト・トールの最新記事)を読んだ。「いい内容だ」という印象と、互いに共通する点もあるなあと感じ入り、日本語訳を残したい思いもあって、気づきのあったことを含め、以下に書かせていただくことにした。

エックハルト・トールfacebookページで、通常たいていの人が見落としてしまう「背景にあるよろこびの感覚」について書かれている。(参照:引用2)

「清貧」の意義はこんなところに(も?)あったのか…。

この「背景にある微細な感覚」は、ウィルバーのいう「存在することのシンプルな感覚(The Simple Feeling of Being)」だ。

背景と前景、主体と客体、目撃者と対象、見るものと見られるもの、陰と陽、Iとme、絶対と相対、一者と多者、空と色、不動と動、地球と月、太陽と地球、天の川銀河と太陽系、宇宙と回転する天の川銀河、神と宇宙、永遠と時間・・・。

トンプソンの「Meというスーツを脱ぐ」とは素敵な表現だ。Meというスーツを「着ている」ことすら忘れていることが多いのだが、実はそのスーツは着たり脱いだりできるのだ。(参照:引用1)

著書The Simple Feeling of Beingのサブタイトルは、Embracing Your True Natureであるが、このブログではMeというスーツを脱ぐとTrue Natureが現れる、とある。

それは「よろこび」だ。

それを感じるきっかけとして「清貧があるよ」というのが、この孔子曰くだ。

そして「Letting goがいいよ」というのが、「Meというスーツを脱ぐ」の方の主張だろう。

思い出した!このトンプソンは以前のブログでsubtleステートを至福(Bliss)と対応させていた。

http://www.iawakeblog.com/2011/11/brainwave-states-in-traditional.html

この画像もなかなかいいと思う。好きだ。

今回のブログに、

Meというスーツを脱いで「背景にある感覚」に気づく、

とタイトルをふってみた。

二つのブログを組み合わせたこのタイトル、いかがか?
う~ん、ちょっと無理があるかも・・・。

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(引用1、以下拙訳)
Integral lifeの一員、Eric Thompsonのブログから
http://www.iawakeblog.com/

瞑想のポイントPart1―手放すこと

マインドが瞑想中にどのように問題を解決したがるかに気づいたことがあるでしょう?
その絶え間ないおしゃべりを静めることは手ごわいように思われます。

瞑想の目標は、忙しいそのマインドを含んで超えるスピリット、(それは私たちの本質ですが)とつながることです。

効果的な瞑想の鍵は、瞑想しようとしている「私(I)」など実はないのだ、ということを思い出すことです。

むしろ瞑想は私たちの本質であり、根本的な経験を通して、私たちの真の性質はマインドよりも大きく、限りがないことを、シンプルに思い出させます。


Meスーツを脱ぐ(Taking Off the “Me” Suit)

瞑想のはじめに、あなたのmeを手放し、スピリットとつながりましょう。この間そうした意思をもつことが役立つでしょう。

あなたのmeは前開きのジッパーのついたスーツのようなものだと、イメージできるかもしれません。

さり気なくジッパーを下げてmeを脱ぎ、部屋の隅に優しくおきましょう。

あなたはいつでも、戻ってきて後でそれを着ることができます。でも今はそれを必要としません。

瞑想の本質は、純粋な「陰(yin)」、汚れのない感受(untainted receptivity)です。

瞑想をしようとするよりむしろ、ただ自分自身が瞑想されるままにしておきます(allow yourself to be meditated)。

身体の中の生命力を、ハートを打つスピリットを、経絡を走る気を、身体をとりまく電磁場を感じましょう。

マインドを超えた何かが心身を動かしています。それは何でしょう?何かがそれ自体の方へあなたを引き寄せ、あなた自身を成長させ、潜在力を引き出し、自己(Self)を実現するのです。

それへとあなたのアテンションを向けなさい。

あなたの忙しいmeマインドに欲するままにさせておくことの自由を感じましょう。なぜならそれはあなたではないから。

それと格闘する必要はありません。

あなたのアテンションをあなたの心身を動かしている神秘的なsubtleの力へと戻します。

それは何でしょうか?どこからそれはやってくるのでしょうか?

もし何かをしようとしているなと気づいたら、ただそれを手放しなさい。何か気づきましたか?

手放せば手放すほど、あなたの瞑想は深まります。
The more you let go, the deeper is your meditation.


これはあなたの条件づけされたマインドがスピリットとしてのあなたの真の性質を経験しているからです。

文字通りentrainingしている(マインドがスピリットに乗車している、マインドがスピリットに同調している)のです。


すべてを手放すこと (Letting Go of Everything)

たくさんのすばらしい思考と創造的なアイデアが瞑想中に浮かび上がります。そのような思考をもつことは有利であるようにさえ思うでしょう。結局それらはいいことじゃないか、と思いますよね?

憶えておくべきポイント(鍵)は、がっちりと思考を握りしめることによって、おしゃべりするマインドは強められてしまうということです。

これは直感に反しているように思われますが、本当だと私は分かりました。やってくる創造的なアイデアを、スピリットの無限の潜在性へと手放せば手放すほど、それらは育ち、実際に日の目を見るのです。

あなたの次の瞑想の間、次の手放すアプローチの一つかそれ以上をやってみて下さい。

・心のおしゃべりにフォーカスしている時には、ただそのおしゃべりを手放し、非ー思考(non-thought)に気づくようにしましょう。一日を通してこの気づきと共にいるよう心がけなさい。

・あなたが欲しかったものすべてを手放すところをイメージしましょう。ただイメージするのです。どんな感じですか?これがあなたの本質(true nature)です。あなたのスピリットは何も必要としていません。感覚を観察し、感覚を観察しているあなた自身を観察しましょう。感覚と身体の気づきの意識の両方に錨を下ろしなさい。

・瞑想しているときに創造的なアイデアが現れたなら、すばらしいアイデアをSpiritに感謝し、感謝の中にそれらを手放し、Spiritの肥沃な土にそれを植えるところをイメージしましょう。悩むことはありません。これらの自然発生したアイデアはあなたのスピリットの元にいま託されたのです。それはアイデアに栄養を与え、機が熟したときあなたの意識に戻ってきます。瞑想が終わったら、ただそれを書いておきましょう。あとでそれらを思い出せないとしても、悩まないでください。あなたのスピリットはあなたのマインドより優れた執事です。私を信じて。それらは戻ってきます。

この実践は少なくとも3つのことを成し遂げます。

1. それは思い出させます。マインドがあなたのアイデンティティの座席ではない、あるいは創造すべき能力でもないこと、あなたのスピリットとつながりそれを表現することは最も重要なことであり喜びなのだ、ということを。

2. それはマインドに教えを授けます。あなたの経験により多くの創造性と活力がもちこまれ、スピリットは真に信頼足り得るものである、という教えを。

3.それは生きることを楽にするのです。

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(引用2、以下拙訳)
以下、エックハルト・トールfacebookページから。
http://www.facebook.com/Eckharttolle

孔子曰く。「粗末な米を食べ、水を飲み、肘を枕にすることの中に喜びが見つかる」

どうして?

手の込んだ食事、おいしいワイン、柔らかな枕に、もっと多くの喜びがあるのでは?

より多くの楽しみ、快適はたしかにそうだ。しかし喜びは必ずしもそうではない。

シンプルで静かなことの方が、もっと喜びに資するのだ。

なぜ?

なぜならすべてのアテンションを没入する代わりに、それら(粗末なもの等)は過剰で負担の大きな思考のせいで通常見落としている感覚に気づかせてくれる。

それは何だろうか?

それは背景にある感覚。生きているという、今ここに在るという、存在するという、感覚。
(A background sense of aliveness, of presence, of being)


それは喜びだ、そしてまた真の幸福である。

それはいつもそこにある、しかしたいていの人はそれに気づかない。

内にある背景に気づかず、彼らは前景を、外側を、彼らにとっての幸福を見る。

そしてその時、人生は本当にフラストレーティングなものとなるのだ・・・。