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ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、そして近年ブームのアドラーまで、脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

いのちの居場所に、いのちを使う

ひと月ほど前に「コペルニクスの鏡」を読んだ。

とてもいい本だ。

この本は清水博先生が被災地の人たちに向けたメッセージをこめて物語として書いた本だ。

子どもでも読めるように、喩え話の力を使おうと物語にしたのだという。

コペルニクスの鏡のことを省略してコペルの鏡と呼ぶ。

コペルの鏡は意識しないと見えないけど、実は誰でも持っているのだという。

コペルの鏡はだいたい自分の頭の上のやや前の方にあるという感じでイメージする。

その鏡をのぞくと、「いのちの居場所」が見える。

いのちの居場所とは、自分のいのちが育まれる自分の居場所のことである。

自分がその人たちと関係して、その人たちの中で生き、
その人たちに育ててもらっていると感じられる人たち。それがいのちの居場所だ。

それは、家族だ。

それは、自分の暮らしている地域の人々だ。

それは、とても大切な友達だ。

それは、一緒に楽しく学び遊ぶ学校の仲間たちだ。

ここまで書いて、それは「We(私たち)」だとあらためて思った。

コペルの鏡で見えるもの、そのひとつはWeだ。

「そのひとつ」と書いたのは、もうひとつがあるからだ。

もうひとつとは、暮らしている地域の山や川。森やいろいろな生き物たち。海。

そうした自然も、いのちの居場所だ。自分を取り巻く環境。その中で自分は育まれている。

そうか、いのちの居場所は、Its(それら)でもあるのだ。

いのちの居場所にはいろんなレベルがあるという。

家族からはじまり、助け合って生きる地域の人々、クラスの仲間、自分の町、県、日本、地球・・・。

コペルの鏡には意識するといろんなレベルのいのちの居場所が映るのだ。

では、その「いのちの居場所」とどうかかわって生きるのか?

それには「いのちの与贈循環」を理解しないと行けないよ、という。

いのちを与贈するとは、文字通り、自分のいのちを贈ること。

いのちの居場所に、自分のいのちを与贈すると、実は自分が浮かび上がる。

与贈すればするほど、いのちの居場所からサポートされるのだ。

それが「いのちの与贈循環」。

ここまで書いて、やっぱり思う。これってインドラ網だ。

そして同時に気づいた。

これって、エスビューローのミッションだ!

「つながろう、育もう、未来の僕たち私たち」は一昨年の大会スローガンだ。

ミッションとは使命だ。

いのちの与贈循環を理解して、いのちの居場所に、いのちを使う。

それが「使命」、

いやそれこそが「使命」なのだ。