ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラーなど、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

変革体験によってもたらされるPTG

第三世代の認知行動療法を調べて行くうちに「マインドフルネス・瞑想・坐禅の脳科学と精神療法」(貝谷久宣・熊野宏昭編)という本に行きつきました。今回はその中で貝谷氏が報告している「坐禅により軽快した非定型うつ病の1例」から、21歳の女子学生の手紙の内容(P93-94)をまず紹介させていただきます。

(以下引用)
ここ一週間、一日三時間瞑想をして、昨夜やっと第三の目が開眼しました。実を言うと、一週間前、“騙されたと思って一日中坐禅をしよう。それで三月になっても完治しなければ命を断とう“と決心していたのです。先週は過食、過眠、全身の重たさで寝たきりになり「皆には悪いけど、私はもうこれ以上耐える力は残っていない。」と実感し、最後の力を坐禅に使って、使いきったところでどこか遠い島でひっそりと一人死ぬつもりでした。昨夜、戻るための準備をして荷物を下に置いたとき、次の瞬間、気付いたら私は自信を持っていました。その自信は今私の身体の中に入ってきています。母と一緒に居ても一切イライラしません。むしろ母の素晴らしい面がどんどん私に飛び込んできて幸せです。夜も30分以内に眠ることができるようになりました。以前先生の「頭のいい貴方なら絶対できますよ」という言葉を信じて藁をもすがる気持ちで坐禅しました。今はすべてが新鮮です。植木も花もみんな生きていて、その中で生きていられるすばらしさを実感しています。数年前に死ぬ覚悟をして薬を飲んだとき、友達が心配して来てくれて、すぐ救急車で運ばれたのを思い出すと、足がガクガクして生きている喜びで号泣しました。坐禅を通して、命の尊さを実感し、早く社会人になり世の中に尽くしたいと思います。来年からの勉強が楽しみでたまりません。病気をしていなかったら、こんなに命が尊いものだと実感できなかったと思います。これが悟りかは、私には分かりません。ただ悟りかどうかはどうでもいいことです。私が楽になったのは真実ですから。命があるだけで今は十分です。それ以上は求めません。(引用ここまで)



また、この報告の中でP99に引用されていたのが、「生きがいについて」(神谷美恵子著)にある変革体験(神秘体験のことを神谷氏はこう呼んでいる)に関する以下の手記です。大変印象的な文章ですのでご覧ください。

(以下引用)
何日も何日も悲しみと絶望にうちひしがれ、前途はどこまで行っても真暗な袋小路としかみえず、発狂か自殺か、この二つしか私の行きつく道はないと思い続けていたときでした。突然、ひとりうなだれている私の視野を、ななめ右上からさっと稲妻のようなまぶしい光が横切りました。と同時に私の心は、根底から烈しいよろこびにつきあげられ、自分でも不思議な凱歌のことばを口走っているのでした。「いったい何が、だれが、私にこんなことを言わせるのだろう」という疑問が、すぐそのあとから頭に浮かびました。それほどこの出来事は自分にも唐突で、わけのわからないことでした。ただ確かなのは、その時はじめて私は長かった悩みの泥沼の中から、しゃんと頭をあげる力と希望を得たのでした。それが次第に新しい生へと立ち直っていく出発点となったのでした。(引用ここまで)
神谷美恵子著「生きがいについて」P256-257)



さらに、もうひとつ「自然との融合体験」として同書に紹介されている体験談(同「生きがいについて」P250)を以下に掲げます。

(以下引用)
ぼくは青年の頃、肋膜炎をわずらい、ひとり海辺に転地療養して半年ほど過ごしました。人生について深刻に悩み、毎日のように海岸を散歩しつつ、いろいろと考えていました。あるくもった日に、浜の草の上に横たわって、じっと雲と、海と、松の木と、砂浜を眺めていると、ふと自分の身体の下の草を通じて大地がしっかりと自分を支えあげていてくれるのが体にはっきり感じられるような気がしました。雲を通して、太陽の光が放射線状に輝いていましたが、その光線はみなぼくの心に向かって温かさを降りそそいでいるようでした。波のしずかな音も、ふしぎな力をおびてぼくにかたりかけているようです。言うに言われぬ深いよろこびと安らぎがぼくの全身全霊を浸しました。人間をこえた、大きな生命の河の流れに運ばれている感じ、否、ぼく自身がその河になってしまったような感じでした。(引用ここまで)



自然との融合体験のあった青年は、その体験を契機として独自な宗教的境地に生きるようになり、その後自然科学者としての道をひとすじに歩んでいると書かれています。

これらは神谷氏の言葉を借りていうなら、「劣等感や罪障感のために自己嫌悪の泥沼になずんでいた」ひと、すなわち「永遠の否定」の意識から、完全に前向きで、「自己の存在意義はもとより、宇宙から人間の社会に至るまですべてを受け入れ」肯定する「強い肯定的意識」への転換の例です。

そのような転換をもたらす神秘的な体験を「変革体験」と彼女は呼んでいます。

そして変革体験を経なければ前向きに生きて行くことができないような人間をジェイムズは「二回生まれ」のひとと呼んだ、と書かれています(同上p244)。

ここで以前、PTG(ポスト・トラウマティック・グロース)について書いたブログ

ポスト・トラウマティック・グロース Posttraumatic Growth - ウィルバー哲学に思う

で取り上げたK君(当時高3男子)のことばを思い出しました。彼は中学校3年生の時に脳腫瘍で倒れた日が自分の「二度目の誕生日」「新しい自分の誕生日」だといっていました。

そうか!こうした変革体験はPTGをもたらす、のです。

また、このような変革体験に共通する特徴として神谷氏は、①歓喜と調和の感情、②強い肯定的意識、③使命感をあげています。

ヴィクトール・フランクル強制収容所で見たビジョンの体験(「夜と霧」P124)もそうでしょう。「使命感」へと昇華されるという点が重要です。

オルダス・ハクスレーを引用しながらも、薬物などによる神秘体験ではこのような使命感を持つことはない、と書かれています。

当初「坐禅によって改善した例」を紹介したくて今回のブログを書き始めたのですが、神谷美智子氏の「生きがいについて」を確認のために入手して拾い読みしているうちに、この書が、私にとってたいへん興味深い本であることが分かりました。

この中に書かれていることに関しては、このPTGをはじめとしてこのウィルバー哲学で触れてきたことの多くに関連がありそうです。解説されているホワイトヘッドのいう「平和の体験」などについては後日ぜひ取り上げて行きたいと考えています。

今回は引用ばかりになってしまいましたが、引用した手記が素晴らしい文章ばかりなのでむしろ解説は不要だろうと思われます。

変革体験によってもたらされるPTG

これを今回のタイルとさせていただきます。