ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、そして近年ブームのアドラーまで、脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

役割という分離にとらわれないでHELPする

中川吉晴さんの「ホリスティック臨床教育学」を読んでいてラム・ダスのことを知った。中川さんはラム・ダスのことをこう紹介している。

ラム・ダス(本名リチャード・アルバート)は、ハーバード大学教授をへたのち、インドで修業し、アメリカに帰国後は、瞑想の教師として活躍するとともに、援助団体を立ち上げ、さまざまな支援活動にかかわってきた。刑務所におけるプログラムや、末期エイズ患者のために死を看取る活動などが有名である。



そのラム・ダスの書いた『How Can I Help 助け合うときに起こること』を、いま読んでいる。

面白い!

『How Can I Help』を紹介しながら中川さんはこう述べている。

ラム・ダスは、ヒンドゥーの教えのひとつであるカルマ・ヨーガの伝統にそいながら、受刑者や死にゆくエイズ患者などに対する援助活動をつづけ、ゴーマンとともに『いかに援助するのか』という著作をあらわしているが、そのなかで援助につきまとう本質的な問題を描きだしている。それは、援助活動を妨げる内的要因としての、自己イメージへの同一化という問題である。援助を困難にするのは、援助者という役割への同一化である。それによって他者は援助される人として同定され、両者のあいだには分離が生じる。両者が援助することと援助されることへと囚われるなら、援助関係はしだいに「援助の牢獄」と化していく。それを免れるには、援助者は、援助者というイメージから脱同一化し、それを手放すことができなくてはならない。(「ホリスティック臨床教育学」p126)



そして、

特定のアイデンティティに同一化しているとき、自己は断片化し、不自由になり、バランスを欠いているが、自覚のうちにやすらいでいると、そうした囚われから、解放され、より自由にふるまい、最終的にはより適切な援助活動ができる。(同書、p128)



と書かかれている。


そして『How Can I Help』を読んでみよう決めたのは次の一文だ。

もし、たゆまず自覚を心がけるなら、その「観照」(Witness)への同一化が増大し、その一方で「やり手」(doer)であることの執着が抜け落ちていく。さらに驚くべきことに、やり手としての自己同一化が消えていくにもかかわらず、それでも多くのことがなされていることが分かる。(同書、p128)


コンサルタントとしての長年の経験からピカッとくるものがあった。そう、「やり手として自己同一化すること」に私は抵抗があったのだ。


まだ本の序盤だが「How Can I Help助け合うときに起こること」第2章『助けているのは誰か?』の中から私が下線を引いた部分をいくつか以下に紹介してみると

一日に何百回も適切な役割に合わせて衣装を変える。これが他人の世界を動き回る、分離した「自己」の生なのです。(「How Can I Help助け合うときに起こること」p38)

自分が分離しているという感覚に支配されて援助は時々その質を落としてしまうことがある。(p39)

この役割への自我の執着が、もっとも単純な行為からさえ私たちをしりごみさせてしまいます。(p41)

用心深さや、自分では不十分だという気持ちをもっていると、助けるという行為の中で、自分たちの寛大さや自主性を制限するような、個人的な思惑にもしがみついてしまうことになります。(p42)

分離した自己の完全さを守って、安全でいるために、自己の役割のひとつに他の役割より重きをおくことがよくあります。・・・他を犠牲にしてひとつの特質にしがみついてしまうかのようです。限定するのです。結果として差し出さなければならないものを、ごまかすことになってしまいます。(p43)

たとえしばらくの間、選んだ役割に安心していても、それでもそうした役割は、深いレベルで私たちの奉仕の質を妨げるのです。(p44)

分離した自己というモデルにとらわれてしまうなら、互いを矮小化してしまうことになるのです。(p46)

二、三歩後ろへ戻り、自分が誰なのか、「これなのか・・・そしてこれでもあり・・・そのうえあれでもあり」といったことに気づくと、狭くて制限され、孤立した存在として閉じ込められているという感覚が消えはじめます。(p51)


それはまるで、小さな町に住んでいたあなたが山に登って、下界を見下ろし、自分が普段どう動きまわっているかを見るようなものです。・・・全部上から眺めるのです。それからあなたは町に帰ります。そして今では、以前のように町を歩いても、あなたのある部分がいつも上からの展望を思い起こすのです。(p54)



そうか!ヘルプするということとWitnessはこのようにつながっていたのだ。

思い返してみると、

なぜ、8月の大会の後、あのような思いが残ったのか?

もっとできることやれることがあるのに何かわだかまりがあって、十分いえない。

どうしても遠慮してしまう。

もっといってあげることができるのに。もっと大切なことを伝えられるのに。

そうした思いが強く残ったのは、私が自分の役割というひとつのペルソナに囚われていたからなのだ。

言い換えるなら、その役割と同一化してしまっていたことで、助けたり、励ましたり、支えたりする言動が、自由に周囲に流れて行かなかったのである。

このような役割との脱同一化は、これはセルマンのいう役割取得能力のレベル4を超えた対人関係のあり方であるといえるだろう。

Interpersonal知性と、セルマンの役割取得能力 - ウィルバー哲学に思う


Interpersonalな知性の一定レベル以上への向上を考えたときに非常に大切な能力であり、NPOの活動にも大いに生かせる、否むしろ不可欠なものであるといえる。

役割という分離にとらわれないでHELPする

それが「助ける(Help)」ということのひとつのEssenceであると同時に、対人関係のあり方における境地ともいうべきものかもしれない。


次回はHow Can I Helpの第3章「苦しみ」からACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)と関連して、思ったこと感じたことを書いてみようと思います。