ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラーなど、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

自分はこんなものじゃない、と考えている自分

自分の中に、「自分はこんなものじゃない」と強く思っている自分がいる。

これはよい意味で、なのではなく悪い意味で、だ。

人に助言らしきことをいう機会があるが、そのときの自分の言動の中に、かなりの割合でそうした「自分はこんなものじゃない」という思いが秘められている、と気づいた。

相手に役立ちたいと思って言っているのか、自分はそんなものじゃないことを知ってほしくて言っているのか、非常に疑わしいところがある。たぶん後者だ。

そしてそれが傲慢さを形成している。

じつはすごい人だね、さすがだね、などと言って欲しいのだ。

こうした衝動があることがまったくといっていいほど自覚されてこなかったと思う。

これは危険であり、良くないことであると思う。もっとも忌むべきであるはずの偽善につながりかねないからだ。

もろもろのことに感謝できない態度にもつながっている。

まだまだこんなものじゃない、と思っているからだ。

なので感謝よりも不満の方が先に立つ。

情けないことだ。


こうしたブログを書いている動機の中にもそれは潜んでいる。

まったくもって恥ずかしいことである。

ここまで書いた文章を読みなおしてみると、この中にさえもそうした微妙な衝動があるように思う。

自分はこんなものじゃない、と考えている自分に気づいている、ってどうだい、なかなかのもんだろう?と言いたげだ。


しかし、自分はこんなもんじゃないと思っている自分、人にそれを分からせようとしているかもしれない自分、に気づくと、どこかほっとした解放感、安心感が生まれる。

恥じ入るとともに、そうした微妙な衝動に振り回されることが少なくなる、それは事実だ。

客体化できるのだろう。

これからは、よ~く、観察していきたいと思う。

特に人と接しているとき、自分の中に、その言動の中に、その態度の中に、

自分はこんなものじゃない、と考えている自分

がいないかどうかを。


今回は、自分への強い戒めとして書き記しておきたく、ここに書かせていただきました。