ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

不快は追い払わず、息とともに観察する

ティクナットハンの「微笑みを生きる」(邦訳、池田久代)にはマインドフルネスのことが分かりやすく書かれています。

今回はその「感情の川」(p64)という節から、不快な感情とどう向き合えば良いかについて書かれている部分を紹介したいと思います。

(以下引用)
私たちが日々いだく感情は、思考や行動の原動力として、大きな力を持っています。私たちのなかには感情の川が流れており、その川の水は一滴ずつ異なった感情でできていて、それぞれの感情はほかの感情とたがいに依存しています。この流れを観察しようと思うなら、川の土手に坐って、ひとつひとつの感情が浮かび、流れ、消えてゆく様子を確認してみればよいのです。
 感情には快(楽受)、不快(苦受)、中性(捨受)の三受があります。不快な感情をいだいたら、それを追い払いたくなりますが、踏みとどまって、息の観察をしながら、じっとその感情を見つめてみたほうが良いのです。しずかに自分で確認してみるのです。「息を吸って、私のこころに不快な感情が起こったと気づく。息を吐いて、私のなかに不快な感情があると気づく」。そのとき起こった感情を、具体的に「怒り」、「悲しみ」、「喜び」、「幸福」と呼んでみたら、もっとはっきりその感情を掴み、もっと深く確認することができます。
 湧き起こってくる感情と接触して、それを受け入れるためには、息の助けが必要です。息が軽く落ち着いてきたら―呼吸の観察をしたら自然にそうなるのですが―こころと体は軽やかに(軽安)鎮まり(澄浄)、感情も鎮まります。…
自分の感情に溺れたり、暴力的に支配されることはなし、またこれを拒絶することもありません。感情にしがみついたり、拒否したりしないということは、ただ感情を手放すということです。これが瞑想行の大切な修行の一部です。
 私たちが不快な感情にいたわりと注意をそそぎ、非暴力の精神で接すれば、これをエネルギーに変えて、自分を育てる力にするこができます。気づきの観察によって不快な感情はあなたを照らしだして、自己や社会を洞察し、理解してゆく力となりうるのです。(引用ここまで)



現在、団体内部で勉強会をしているACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)のまるで要約版のような文章だと感じました。

川の土手に坐って、ひとつひとつの感情が浮かび、流れ、消えてゆく様子を確認するのは、ACTでいう「マインド・トレインをただ観察する」というエクササイズ(「ACTをはじめるp109」)です。あるいは「葉っぱにのせた考えが川の流れを漂うのを観察するエクササイズ」とも同じでしょう(同書、P126)。


また、そのとき起こった感情を、具体的に「怒り」、「悲しみ」、「喜び」、「幸福」と呼んでみるというのは、ACTでいう「思考や感情にラベルを貼る」というエクササイズです(同書P124)。

このことは風船モデルにタグをつける方法として以前にも紹介したことがあります。

「無意識の回避」から「意識的な受容」へ - ウィルバー哲学に思う


そして今回、基本的なことだけれども大切なこととしてあらためて注目しておきたいのは、「呼吸」とともにこうした観察を行うのだということです。

不快な感情をいだいたら、それを追い払いたくなりますが、踏みとどまって、息の観察をしながら、じっとその感情を見つめてみたほうが良いとあります。

それを「追い払いたい」、「回避したい」という反応は、ACTによると、われわれが進化の過程で学んだ外的な問題に対処するために身につけた能力です。しかしその方略を内面にあてはめると「苦痛は苦悩へと増幅」し「回避の悪循環」を招いてしまうと学びました。(同書、p53)

だから踏みとどまって、そうした感情をただ観察するのです。

そのためには、同時に息を観察するのがよい、と書かれています。

これは「息を感じるエクササイズ」として「ACTをはじめる」の第8章P188でも紹介されています。息をした回数を1から10まで数えるという数息観という坐禅の基本的な方法です。

そして不快な感情に「いたわり」を注ぐのだといいます。これはそうした感情を幼子のように扱うというティクナットハンならではの表現でしょう。

非暴力で接するという点に、ガンジーやアウンサン・スーチーとの共通項が見て取れます。

そしてこのような感情はエネルギーに変容できるのです。これは以前に「マイフルネスで包んだ後にくる洞察」で示した通りです。

マインドフルネスで包んだ後にくる洞察 - ウィルバー哲学に思う


組織の内部でACTの勉強をしていますが、こうした考えにはじめてのメンバーもいい感じで勉強会も佳境に入ってきたようです。心理学的に書かれたACTのテキストと仏教的な観点から書かれたティクナットハンのこの「微笑みを生きる」のような書の両方を参考にするともっと理解が進むのではないでしょうか。

今回は、久しぶりのブログとあって復習編のようになりましたが、短い文章にもかかわらず多くの有用な観点が散らばっていましたので書き留めさせていただきました。

不快は追い払わず、息とともに観察する

あなたも今日から実践してみませんか。