ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラーなど、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

収縮の感覚をただ観察する

ウィルバーの著書『ワンテイスト』の中に、「これは仕上げのエクササイズと呼べるだろう」と書かれているものがあります。

(ワンテイスト下P154より以下引用)
観照者として休息し、自己収縮を感じること、これこそワンテイストが最も現れやすくなる空間である。それを戦略的な努力として行ってはならない。自分自身のショッキングな認知の縁に常に立ちながら、一日中そして一晩中、ランダムに、そして自発的に行うのだ。
以下にやり方を示す。(「自分自身のショッキングな認知の縁」とは、その前の文章より「原初の顔の縁」のことであると思われます。)

「観照者」として休息し、自己収縮を感じる。それをやりながら「観照者」が自己収縮ではないことに注意を払う。―それは(観照者は)それに気づいている。「観照者」は自己収縮から自由である。―そしてあなたが「観照者」である。
 「観照者」としてあなたは自己収縮から自由になる。その「自由」、「開け(openness)」、「空」、「解放」に休息する。自己収縮を感じ、それをそのままにしておく。ちょうど他の感覚をそのままにしているように。雲、木々、自我を取り除こうとしないこと―それらをそのままにしておく。そしてあなたである「自由」の空間でリラックスする。
 その「自由」の空間において―自発的に―、あなたは「自由」の感覚に内側も外側もなく、中心も周囲をもないことに気づくだろう。その「自由」の中を思考が流れていき、その「自由」の中を空(sky)が流れていき、その「自由」の中に、世界が生起し、そしてあなたは「それ」なのだ。空(sky)はあなたの頭であり、空気はあなたの呼吸であり、大地はあなたの身体である―それはそれぐらい近い。そしてもっと近くなる。あなたがその「自由」に休息しさえすれば、あなたは世界である。それは無限の充満(fullness)である。
それは内側も外側もなく、主体も客体もなく、こちらもあちらもない、ワンテイストの世界である―始まりも終わりもなく、手段も目的もなく、道程も到達点もない。そしてそれをラマナは究極の真実と言った。(引用ここまで)


自己収縮の感覚とはどのようなものでしょうか?

このように書かれています。

あなたは自己収縮を実際に感じることができる。ちょうどあなたが自分の足や、テーブルや、岩を感じることができるように。自己収縮とは内面の緊張を感じることであり、しばしば目の後ろに位置づけられ、身心全体のかすかな筋肉の緊張に固定されている。それは世界と向き合う時の収縮の感覚であり、努力である。それは微細な身体全体の緊張である。この緊張にただ注意を払ってみよう。



自己収縮の感覚とは

しばしば目の後ろに感じられるかすかな筋肉の緊張



ということができそうです。

その収縮の感覚を取り除こうとせずただ観察すること

これがこの仕上げのエクササイズのポイントではないかと思われます。

自己収縮を感じ、それをそのままにしておく

ワンテイストの原書を持っていないのですが、この「そのままにしておく」とは何と表現されているのでしょう?

昔はやりのLet It Be でしょうか?(ザ・ビートルズ

今はやりのLet It Goでしょうか?(アナと雪の女王

今はやりのLet It Go の曲の中には

Let it go, let it go.
I am one with the wind and sky



というフレーズがあるようなので、ワンテイストという観点からはlet it goの方が合うのかもしれません。(私はまだ映画も見ていないのですが…)

いずれにしても、大切なのは「取り除こうとしない」ということです。

あなたにできる最良のことは、観照者を対象として見ようとしないこと、見る者(Seer)としての観照者にただ休息すること、自我を取り除こうとしないこと、それをただ感じること。

とウィルバーは書いています。ここでは自我≒自己収縮です

収縮の感覚をただ観察する

一日に何回でもランダムに心がけてみたいと思います。