ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

問題解決モードと夕陽モード

スティーブン・ヘイズ他著「アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)第2版」を興味深く読み始めました。あらためて、ACTは本当に素晴らしく永遠の哲学の伝統にある知恵と現代心理学を橋渡ししているなと思いました。

それはともかく今回は、この本のなかで「問題解決モード」という言葉が出てきたので、そのことを詳しく説明している第7章「今、この瞬間の認識」の中から引用して紹介したいと思います。(「今、この瞬間に取り組む根拠を示す」という節p327より引用)

私たちが使っている、マインドのモードは2つあります。1つはマインドの問題解決モードです。このモードは極端に自動的です―そしてそれは良いことです!(悪いことではありませんというニュアンス)なぜなら、スピードが出た車を避けたり、セールストークのもっともらしさを判断したりするときには、準備ができているととても助けになるからです。どのように機能するかを見てみましょう。2たす2は?3ひく1は?このマインドのモードは、ものごとを分類して評価するのに役立ちますが、その働きが素早すぎて、何が起きているのかを私たちが認識さえしない場合がよくあります。マインドの問題解決モードにまつわる問題は、それがあまりにも自動的なため、役立たない場面でも頻繁に適用されてしまう―または適用されるのが早すぎる―点です。
 私たちが関心を持つマインドのモードにはもうひとつあり、こちらはマインドの夕陽モードと考えるとよいでしょう。私たちは問題を見つけるとそれを解決しますが、夕陽を看たときには、どうするでしょうか?または美しい絵画を見たときには?あるいは美しい音楽が聞こえてきたときには?マインドのこのモードでは、主に、注意を向けて、味わいます。私たちの誰もが自分の人生のなかに見いだす傾向は、問題そのもの、またマインドの問題解決モードにあまりにもとらわれるあまり、たくさんの夕陽を逃してしまうことです。
 私たちは、マインドの夕陽モードを、…練習していきます。…その日一日に気がかりだったことをほんの何分か手放して、息が吸い込まれて吐き出されるのと同じくらい単純な何かに注意を向ける練習をします。また、対処するのが困難な状況になることもあります。そうすると、できるだけ早く問題解決したいと思うかもしれません。でも急ぎ回ると、解決するよりももっと多くの問題を引き起こす場合もあります。そこで問題が起きたときには、もうひとつの方法として、私たちはぐんとスピードを落として、マインドの夕陽モードに入ります。これは問題解決を一切しないという意味ではありません。問題解決の努力はします。ただ、それを反射的な方法ではしないということです。私たちはマインドフルに問題を解決します。また、何か美しくて大切なものが表れたときにも、私たちはスピードを落として、マインドの夕陽モードに入ります。…
少しスピードを落としてみると、愛おしさと悲しみはかなり頻繁に入り混じって見いだされるということです。人生のなかで愛おしく感じている何かで、悲しみの色合いをまったく含まないものを探すのは、なかなか難しいです。マインドの問題解決モードは、私たちに悲しみに背を向けさせますが、そうすることで、私たちは愛おしいものにも背を向けている場合があるのです。(引用ここまで)


いかがでしたでしょうか?

文章を書き写しながら、頭に浮かんだのは柳生新陰流の「風水の音を聞く」という教えのことです。(清水博著「生命知としての場の論理」P166)。斬りあいに入る前、風が吹いたとか、水が流れたといった風水の音が聞こえないようでは駄目だということで、そういう心で相手に対していかなければならないという教えです。

解決しないといけない問題が深刻で一刻の猶予もないと思うなら、そう思うほど、風や水の音にも気づけるマインドフルなモードにチェンジした方がよいということではないでしょうか。

「マインドの夕陽のモード」という表現も意味深長な気がします。これは陽が落ちる前の状況と、マインドが脱落(身心脱落)する状態を重ね合わしているように思えるからです。

また、過去にこのブログに書かせていただいた「What to doではなくHow to be」という主張に共通するものを感じます。問題解決のモードがWhat to doであるのに対し、夕陽のモードはHow to beだと思われます。何をすべきかを考えようとしてしまう傾向に対し、立ち止まって、今このときに自分の状態をどのようにしているべきか、どう在るべきかを意識するということです。

フェーミ博士のいうアテンション・スタイルの分類でいうとナロー/オブジェクティブからディフーズ/オブジェクティブ、そしてディフューズ/イマーストへ、注意の向け方をシフトするということになるかもしれません。他のものが目に入らないような狭くて硬直した注意の払い方から、対象をとらえつつも固定せず、幅の広い柔軟な注意を保つスタイルへの転換です。

どんなアテンション・スタイルをとっているかにアテンションを払う - ウィルバー哲学に思う


最後の「マインドの問題解決モードは悲しみに背を向けさせる」とは、深い言葉です。これを相談という場面に置き換えるなら、相談してくる人に問題解決モードでのみ接するなら、アドバイスはできたとしても、それは相談にのれたとは言えないのだということでしょう。相手の心情に寄り添えない対応はこうして生まれるのだと思いました。

つらつらと思いつくままに書きましたが、

問題解決モードと夕陽モード、

今、自分はどちらのモードにあるのか?

自動的にいつもの問題解決モードになってしまってはいないか?

それでバランスは取れているのか?

意識すればモードは切り換えることができるのだ、などなど。


こうしたことに気づかされた文章でした。