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ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、そして近年ブームのアドラーまで、脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

私と世界をつなぐバタフライ効果

前回のブログにコメントを下さった方がおられ、その返信を書く中で様々なインスピレーションがありました。私が書いた返信の一部をここに抜粋しますと・・・

(以下抜粋)
極端に言うと、生きて何もせず、ただ呼吸をしているだけの人がいたとします。しかしその人の存在は酸素を吸って、二酸化炭素を吐き出すという形で、世界に影響を与えています。

それだけで、その人が存在する世界と、その人が存在しない世界は、もはや別世界なのです。

これは物理的な事実です。

ということは、その人の存在は、その人の世界とセットなのです。

その人抜きの、その人の世界は存在しません。どんなに悪人であったとしても、です。

私という存在と私の世界はセットなのだ、と考えてみると不思議な気がします。

私のいる世界への愛おしさを感じられるような気がします。

書きたかったのは何といいますか、そんなことです。(抜粋ここまで)



「これは物理的な事実です」とあえて言ったのは、カオス理論のバタフライ効果のことをイメージしたからです。

バタフライ効果とはマサチューセッツ工科大学の気象学者エドワード・ローレンツが唱えた仮説で、「ブラジルで蝶が羽ばたくと、テキサスで竜巻が発生する」とか、「北京で蝶が羽を動かすとニューヨークでハリケーンが起こる」というように、ある場所での蝶の羽ばたきが、そこから離れた場所の将来の天候に影響を及ぼすというものです。その後バタフライ効果は法則として認定され、カオス理論の初期値鋭敏性の法則として知られるようになり、複雑系の特徴のひとつとなっています。

すなわち、初めは小さくて無視できるような動きが、様々な相互作用の中で互いが増幅し、とんでもなく大きな変化につながることがある。ごくごく小さな要素であっても、その小さな要素の組み合わせが、未来に大きな影響を与えうるのだ、という理論です。

「JIN-仁」というテレビドラマがありました(お正月なので過去のヒット番組として昨日もCATVで特集をやっていました)。現代の医師が幕末の世にタイムスリップしてしまい、ペニシリンを開発したりして多くの人を救うという内容だったかと思います。そこで坂本龍馬も出てくるのですが、坂本龍馬の暗殺を阻止すると「歴史が変わってしまう」というような内容が語られていました。

しかし、坂本龍馬の暗殺の可否というような重大事件に限らず、その医師がタイムスリップした時点で、(その時点で行う、彼の小さな振る舞いによって)すでに歴史は変わってしまうでしょう。それがバタフライ効果です。

幕末の世にやってきた時点で行う彼の小さな振る舞いが、バタフライ効果によって大きな変化へとつながります。

その医師が存在することになった幕末の世は、もはやその医師が存在しない幕末の世とは異なる世界なのです。

ですからその医師と彼が存在することになった世界はセットなのだといえます。

一対一の対応関係にあるというより、むしろ一体なのだということです。

このことは以前に書いたこのブログと同じような主旨を異なる切り口から取り上げたことだと気づきました。

複雑系としての空を理解し経験の質を変える - ウィルバー哲学に思う

 

「オレなんかおらんでもいいやろ」
「いやいや君がおらんと別の芝居になってしまうやん」
「でもオレ何もせえへんで」
「いやこの芝居が成り立つために、君は必要なんや」

ということで、今回は「私と世界をつなぐバタフライ効果」という題目とさせていただきます。