ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、そして近年ブームのアドラーまで、脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

心の形成物≒ペインボディ≒認知的フュージョン

五蘊(ごうん)、とくにその第4である「心の形成物」(mental formation)の相互依存性ということを考えているうちに、ティクナット・ハン師のいう「心の形成物」とエックハルト・トールのいう「ペインボディ」、そしてさらにACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)でいう「認知的フュージョン」は全く同じとは言えずとも、かなり類似したものではないかという思いが強くしてきました。

『怒り』(ティクナット・ハン著)の冒頭に「心の形成物」についてこう書かれています。

P16
ブッダの教えでは、幸せの最も基本的な条件は自由です。ここでいう自由とは、政治的自由のことではなく、怒り、絶望、嫉妬、妄想など、心の形成物からの自由です。



それからこうも書かれています。

P110
怒りを受け入れ深く観ているうちに、何らかの洞察が得られ、怒りは小さくなります。気持ちが楽になり、相手を助けに行きたくなります。鍋のフタを取れば、素晴らしい香りが立ち込めます。怒りは慈愛のエネルギーへと変容を遂げるのです。
 すべての植物が日光に敏感なのと同じように、怒り、嫉妬、悲しみなどすべての心の形成物は、気づき(マインドフルネス)のエネルギーに敏感です。気づきのエネルギーは仏のエネルギーですから、気づきのエネルギーを養えば、自分の体や意識を癒すことができるようになります。


(「心の形成物」は51種あり、ネガティブなものだけではないようですが、ここでは私たちにとって特に問題となるネガティブな種類の感情を想定して書いています。)

メンタル・フォーメイション、ペインボディ…この2つは間違いなく似てるな…いずれもネガティブな思考と感情の複合物だ。

ACTではどうなっているんだっけ・・・そうかフュージョン、偏った思考とそれに伴う感情の融合。お決まりの回避パターンを作っている。

ウィルバー哲学では・・・う〜ん、何やろ。そうか!シャドウだ。二次的な別の感情に変換するところが異なるけど。抑圧された欲求や感情が外に投影され、あるきっかけで噴き出す。ネガティブな感情を変容する対処法はとても似ている。・・・

というように過去のブログを並べてみながら、思いを巡らしました。

心の形成物(ティクナット・ハン)
自分のつくり出している「メンタル・フォーメイション」に気づく

五蘊その4「行」―Mental Formations - ウィルバー哲学に思う

マインドフルネスで包んだ後にくる洞察 - ウィルバー哲学に思う

ペインボディエックハルト・トール

ペインボディに餌をやらない、ただしシャドウに留意して - ウィルバー哲学に思う

認知的フュージョン(ACT)

脱フュージョンで出来事と評価を切り分ける - ウィルバー哲学に思う

シャドウ(ケンウィルバー)

抑圧と影 - ウィルバー哲学に思う

3-2-1 Shadow Process+目撃者 - ウィルバー哲学に思う


とここまで来て、今回のブログをどうまとめようかなと思っていましたら・・・昨晩

苦役列車』という映画をCATVで観ました。原作は西村賢太氏で芥川賞を受賞しています。途中から観たのですが、まるでペインボディの連続噴火のような映画です。そんな主人公ですが、彼は本が好きだといいます。読むだけでなく書くのが好きだといいます。同僚から「中卒の分際で」というようなことを言われるのですが・・・。映画の最後の場面でチンピラに半殺しの目にあわされ身包み剥がされてパンツ一枚になった主人公は、殴られ腫れた顔で早朝の道路を猛然と走ります。そう猛然と。そして安アパートの自室に駆け込んだ彼は、一心不乱に書きはじめます。・・・映画はそこで終わり。

あれ?終わったの?という感じ。
でも、最後の彼はどういう心境だったのだろうか?と考えました。
私は、彼が一連の自分のペインボディの噴火と衝動的な行動をとりながらもその自分を小説の主人公にして観察している作家の視点を持っていたのだ、と思います。

それを忘れないうちに書き留めたい。自分の衝動、欲望、怒り、悔しさ…を体験した感覚が冷めやらぬ間に書き留めたいと思ったのではないでしょうか?

主人公の彼にとって、書くことは、「心の形成物」を観察する方法であり、「脱フュージョン」(認知的フュージョンを解体すること)を果たす手段なのかもしれない、そんな気がしました。

心の形成物、ペインボディ、認知的フュージョン、シャドウ・・・

私たちはいつも無意識にこれらに遭遇しています。いや、遭遇しているはずです。

そのことをもっと意識的に、敏感に察知したいと思います。

そのプロセス、その変化、その影響、もたらす結果、そうしたことに鋭敏に気づきを向けたいと思います。

そして、このような作用メカニズムにもっともっと陽が当たり、皆の共通言語として共有されていくならば、私たちが進化の過程で身につけてしまった副作用(?)を幾分なりとも軽減できるはずです。

どうでしょうか。
こうしたことは、とても意義あることだと思いませんか。