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ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーにはじまり、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、そして近年ブームのアドラーまで、脳科学的なアプローチも加味し、心理哲学的な関心について綴っています。

インドラ網として万物に証せられた自己

 2012/1/9のブログにヨンゲイ・ミンゲール・リンポチェの著書から引用してこのように書いた部分がある。

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華厳経』という古い仏典にはこう書かれています。宇宙とは無限の網であり、ヒンドゥー教の神インドラ(帝釈天)の意思によって生じた。この無限の網のすべての網の目に、何面にも分割されて美しく磨きあげられた宝石がぶら下がっている。その一面一面に他の宝石のすべての面が同じように映っている。網も宝石も、宝石の各面も無限なのだから、それらを反映した像もまた無限である。宝石の中のどれかひとつに変化が生じると、他の宝石もすべて変化してしまう。



久しぶりに読み返していて、この最後の一文

宝石の中のどれかひとつに変化が生じると、他の宝石もすべて変化してしまう。


にしばらく釘付けになった。そしてIt’s a wonderful life「素晴らしき哉、人生」の映画で得たインスピレーションと重なった。


私とは、今あるすべてのもの、今いるすべての人、の影響(大小はあるものの)を受けた存在なのだ。

否、今あるすべてのものだけでなくこれまで存在したすべてのもの、今いるすべての人だけでなく今まで存在したすべての人、すべての生きもの、の影響を受けた存在なのだ。

「その一面一面に他の宝石のすべての面が同じように映っている」とはこういうことだ。

特に近しい人、近しかった人は、まるでその人が自分の身体の中にいるように感じる。


そして、反対に

個としての自分という存在は、世界の全体(すべてのもの、すべての人、すべての生きもの)に大小の影響を及ぼす。特に近しい世界には大きな影響を及ぼしている。

「宝石の中のどれかひとつに変化が生じると、他の宝石もすべて変化してしまう」のだ。

ふと

相互貫入

という言葉が浮かんだ。

上の図は当時のブログに掲載した画像である。

Aという存在は、B、C、D、E…すべての存在の反映である。

ここで左上の○をB、左下の○をC、右上の○をD、右下の○をEとするなら、

BはACDE…の反映、
CはABDE…の反映、
DはABCE…の反映、
EはABCD…の反映、である。

私(A)という存在は、世界の全ての反映(A=B,C,D,E…)であると同時に、Aは他の存在すべてに(B,C,D,E…)に反映される。

これは「個 対 個」(AとB)の相互貫入である。

そしてまた「個 対 全体」(AとBCDE…)の相互貫入である。

どれか一つの宝石に変化が生じると、他の宝石もすべて変化してしまう、のだ。

BCDE…の反映であるAという自己は、BCDE…という万物に証せられている、と言えるのではないか。


また、BCDE…万物(世界)もまた、Aである自己に証せられていると言えるのではないか。


今回の表題を

インドラ網として万物に証せられた自己

とした。

言い換えるなら「私と他者」、「私と対象」、「私と世界」は、分離できない相互貫入構造にある、ということなのだと思う。