ウィルバー哲学に思う

「統合」の哲人ケン・ウィルバーを中心に、仏教心理学的視点を取り入れたマインドフルネス、第三世代の認知行動療法ACT、アドラー、ポジティブ心理学など、複雑系や脳科学的なアプローチも加味し、「生命の躍動」の探求、心理哲学的な関心について綴っています。

コぺルの鏡で、こころの闇から抜け出す

このブログでも過去に何回か取り上げたことのある清水博先生の作品『コペルニクスの鏡』いのちの居場所に、いのちを使う - ウィルバー哲学に思う

を読み返していて、新たな発見や深く感じ入るところなどが多くありました。

今回はその序盤から少し紹介させていただきます。
(以下、2.不思議の森のカラスたち 3.コペルニクスの鏡の使い方 から引用)

「じゃ、ほんとの、ほんとの、ほんとのことって、いったいどういうことなの?」
「ははー、そんなことを知らないということは、お前さんは自分がかけている『コペルニクスの鏡』を見たことがないな」
「わたしは、そんなものはかけたこともないし、もちろん見たこともないわよ」
「『コペルニクスの鏡』というものはな、それを見ようとしなければ見えないし、自分がかけていることにも気がつかないものなんだよ」
・・・
「それは気の毒だな。あの鏡を見ていないと、こころに闇が生まれるからなあ
・・・
「なに?鏡が見えないか。見えないものは使えないか。なるほど、それもそうじゃな。それではまず右手と左手の親指の先をくっつけて、そして次に右手と左手の人差し指の先をくっつけて、こうして輪をつくってな、『鏡さん、鏡さん、ここへ来ておくれ!』ととなえると、そこへコぺルの鏡が入ってくるのじゃよ。」

「鏡がやってきたと思ったら、その輪を自分の額のちょっと上の方にかざして、鏡を覗いてごらん」

「森や木や草が見える!コぺル先生がいる!わたしがいる!鏡工場で大勢のカラスさんが働いている!あっ、ウサギが走っている!イノシシがあんなところで寝てる。私の白い家が見える。あっ、あっ、お祖父さんが街で一生懸命働いている!すごーい!すごーい!」

「普通の鏡はいつも自分がいる世界を少しだけしか映さないな。ところがコぺルの鏡は、自分がいないところまで広く世界を映してくれるじゃろ。」

「それでは、先生、コぺルの鏡は、ほんとうは何を映すために使う鏡なの?」
「コぺルの鏡というものはな、自分のこころを開いて、いま自分が生きている〈いのち〉の居場所を映す鏡なんだよ。」
「先生、その〈いのちの居場所〉ってなんのことなの?」
「自分の家庭や、自分の故郷のように、生きているものたちが集まって、互いの〈いのち〉がつながりながら生きていくところじゃな」

「そうか!この森では、わたしの気がつかないところで〈いのち〉がつながっているのか。」
「自分で気がついていなくても〈いのち〉のつながりが縁(えん)となって居場所に残っていくのだよ。だから居場所には、昔からの縁が積もっていく。生きものはみな、そうした縁のなかで生きていくのだよ」
「その縁っていうもの、私は学校で教わってないけど、何なの?」

「それはな、いきものの〈いのち〉と〈いのち〉が出会ってつながる役目をするきっかけのことだよ」
・・・

「冷たい霧のなかにいるように、つながらない〈いのち〉を自分のなかに抱いていることが、孤独なんじゃよ。・・・生きもののいのちはな、自分のほんとうの居場所が見つからないと、ひもが切れた風船のように、独りぼっちになって、どう生きていけばよいか、未来の方向が分からなくなってしまうものじゃよ」

「コぺルの鏡を何度も使っているとな、居場所がだんだんひろく映るようになる。それだけほんとうの〈いのち〉の居場所が映ってくるようになるのだよ。それで、コぺルの鏡でほんとうの〈いのち〉の居場所を見つけることを、昔から悟りともいうな。またコぺルの鏡に映る、ほんとの、ほんとの、ほんとの〈いのち〉の居場所のことを『浄土』という人たちもいる」

「その居場所にいると、こころにいろいろな闇が生まれてもきてもな、その闇からすぐ抜け出すことができる〈いのち〉の光のあるところだよ。でも難しいかな。自分の縁がひろがっていくと、少しずつわかってくるはずじゃ。いま、急ぐことはないんじゃよ」
(引用ここまで)


いかがでしたでしょうか?コペルニクスの鏡とは何なのか?このブログをお読みいただいている方には何となく察しがつくかとも思われます。私もこころに浮かんだ言葉をいくつか行間に残しながら読んでいます。

今回は、冒頭のところで強調文字にした

あの鏡を見ていないと、こころに闇が生まれるからなあ

という言葉を残したくて書きました。本当にそうだと思います。

そしてまた、映画『素晴らしき哉、人生』を思い出しました。

主人公ジョージにとって自分のいない世界を垣間見ることは自分の存在している世界を再認識するコペルニクス的転回のきっかけになったわけです。

コぺルの鏡を見ることは、自分の存在している世界を縁やつながりを含めて再認識することでもあります。

でもただ頭だけでイメージして終わりにしないでください。

是非やってみてください。こういうのがそうなのかな?とか、こんな感じのことかなとか…。

そして、ネガティブなこころの感じが何だかだんだんと軽くなり、安らぎや満たされた感覚がしてきたなら、それがコぺルの鏡の正しい使い方なのだと思います。